木村 真也 さん

略歴

1975年 広島電機大学付属高等学校卒業
1981年 京都産業大学外国語学部ドイツ語学科卒業
ジェイエムエス株式会社と日本ポラロイド株式会社にて営業職、ビゴ・スペクトラメッド株式会社にてマーケティングマネージャー、その後、グラクソ・ウエルカム株式会社(現在はグラクソ・スミスクライン株式会社)にてマーケティング部長、クインタイルズ・トランスナショナル株式会社にて副社長を経て、現在は2002年に設立と同時に株式会社日本医療データセンターの代表取締役社長に就任。
主な論文に、
「レセプト情報を活用した有害事象検出データマイニング手法とその応用(岡本悦司共同研究):薬剤疫学」
「レセプトにおける匿名化名寄せ技術と傷病名辞書:公衆衛生」
主な教育講演に、
「Utility of Japanese claims databases and health screening data in the future risk management program: 国際薬剤疫学会・日本薬剤疫学会共催薬剤疫学教育プログラム」
(2008年8月現在)
外国語学部創設40周年おめでとうございます。

ひょんなことから産大卒業生メッセージに登場することになりました。
外国語学部ドイツ語学科に1975年入学、産大から鞍馬街道を北に10分の山間地にある二軒茶屋に6年間も仙人生活を送り、1981年卒業の木村です。ご覧のとおり卒業まで6年かかっていますので、学生時代の私の生活は推して知るべしでしょう。お世辞にも優秀な学生とは言えないものでした。1回生を3年過ごし、これじゃやばいと改心(?)して後は無事乗り切ったという感じです。 

現在は2002年に起業した(株)日本医療データセンターで代表取締役社長を務めています。学生時代苦労した分、社会で生きるために役にたってきたかなと思い当たることといえば、「諦めるな」ということと「前向きに思考すれば行動も前向きになる」ということでしょうか。とはいえ、勉強はやっておいたほうが良いですね。社会に出ても勉強はいつまでも続くので、やるなら早いうちからやっておいたほうが良いわけです。特に勉強のやり方、物事の調べ方・聞き方、考える方法などは訓練みたいなもの。若いうちからやっていたほうがいいですよ。私の場合は社会に出たあとで気がつきましたので、「学生のときからもうちょっと真面目にやっときゃよかった」と後悔した側ですが、実際に経験の中から思った正直なところです。

卒業前の就職活動に苦労しつつも医療機器メーカーに就職し営業として病院を回り、医師・看護師・事務長さん相手にせっせと訪問して新規受注を狙う営業マンでした。営業車は悲惨でしたね、エアコンが無い!のです。猛暑の夏も全開の窓から右腕をドアにかけつつ1日平均200km走行。右腕だけが日焼けで異様に黒い時代です。営業は面白く、いかにして地域シェアをナンバーワンにしてやるかを考え、敵を知らねば戦略も見えぬとばかりに、大学病院のゴミ捨て場をあさって競合品の残骸をチェックしたりもしていました(今思えば感染リスクもあり非常に危険)。

この病院営業時代6年間のあと、外資系メーカーに転職したのですが、営業からマーケティングに移りここで英語苦労時代の幕開けとなりました。海外出張も年に数回のペースで続き、英語で会議・プレゼンテーション・・・できるわけがありません。初めての海外出張のときは行きの飛行機の中からチェックインしたホテルを経て会議の前まで28時間ぶっ通しで和英辞書を引いていたこともありました。ですが、ひたすら寡黙に無口な日本人となっていました。修行僧のようです。あるときデンマーク出張時にホテルのチェックインのときに英語が出ず、思わずドイツ語で予約確認をしたことがあります。これはイカンと実践から勉強、「馴れ」と「なんとか成れ」でなんとか仕事になるまでにはなりました。この外資系企業は製薬会社で英語以外にも薬のこと、疾病のこと、薬事等のレギュレーション、市場調査手法、マーケティング論などなど実務をこなしながらの勉強の毎日。駆け足のような時代が過ぎていくと寡黙で無口な日本人は「やかましい日本人」になっていたわけです。

製薬企業で感じていたことは、いかにデータが不足しているかということでした。医療現場の実態(実地医療)が可視化できないジレンマのなかでの戦略策定や評価は困難を極めるものですし、治療のなかでも重要な役目を果たす薬剤が実際にどのように患者さんのためになっているのかどうか把握できないのです。そこで、思いついたのが、誰もデータを作らないのなら「自分で作る」こと。起業です。資本はありませんので、紙芝居をつくりベンチャーキャピタルのドアをたたき、自分の考える事業モデルと熱意で説得し投資をしてもらって会社を始めることができました。あとでキャピタルの人に聞くところでは会社も存在していないものに出資を決めるということは極めて稀なことで日本でも始めてだと思うとのこと。そんなムチャなこともやっていたようです。この会社ではレセプトと健診データを匿名化(非個人情報化)して名寄せするというプログラム開発や医療データベースの構築などシステムと医療データ処理、保険制度などの勉強の始まりです。いつまでも勉強なんですね。

現在は主要株主がオリンパス(株)になり、事業シナジーも得て拡大基調で頑張っています。
学生時代と社会人時代は一つの節目ではありますが、決して分離されたものでもなく、癖や習慣は続いています。一生勉強とよく言いますが、本当にそうだと思います。
産大の学生の皆さん、記憶の勉強は忘れるものですが、スキルと知識はどんどん進化していきます。前向きに考えれば行動も前向きになるもの。がんばってください。最後に在校時のみならず卒業後もお世話になっている先生方に御礼を申し上げます。
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