塚田 文子(旧姓  中村)さん

略歴

外国語学部言語学科イタリア語専修 1978年3月卒業
イタリア文化会館
(2007年12月現在)


 1978年言語学科(イタリア語専攻)卒業の塚田(旧姓 中村)文子です。

 

 私は京都にあるイタリア文化会館で勤務しています。イタリア外務省の海外出先機関であるイタリア文化会館は、現在約90館が世界各地にあり、日本には東京と京都の二都市にあります。イタリア大使館の文化部としての機能もする文化会館は、様々な文化分野の催事企画の他、イタリア語とイタリア文化に関する講座の開催と語学検定試験の実施、図書室の資料等のイタリアに関する情報の提供といった活動をしています。

 

 京都の文化会館は、支部として1978年10月に開館し、私は同年12月から働き始めました。私が働き始めた時の職場は、東一条角の財団法人日本イタリア京都会館の中にあり、その3階の二部屋を館長執務室兼事務室と図書室として活動していました。図書の管理と催事の手伝いが担当として割り当てられ、それまで何の経験もなくお手伝い気分でいた私に当時の上司(京都イタリア文化会館初代館長)は、本当に根気よく接してくれました。散々叱られましたが、人に何かをさせるのに、「言ってみて、やってみせ、やらせてみて」を地でゆく人でした。初代である気負いもあったとは思いますが、なによりもやっている仕事に面白味を見出すタイプの人で、かといって仕事一筋の人ではなくオフの日はしっかりと充実した生活をおくっていました。最初についた上司ということもありますが、この人からは、仕事全般だけではなく、人としての物の見方を学んだと思います。
 その後、次々に上司が替わると共に、事務所自体も、他のイタリアの研究機関と一緒の事務所になったり、又単独の文化会館に戻ったりで、それまでと180度違うような事務所の活動内容の変化にとまどい、自分自身が職場で何をどこまでしたらよいのか、しなければいけないか、もしくは、何をするべきでないか悩んだ時期がありました。試行錯誤の末、たどり着いたのが、イタリア語の"Sbagliando s'impara"。辞書には「失敗は成功のもと」と載っていますが、私の場合はそんなきれいな感じではありません。そっくりそのままの意味で「間違って、それで、学ぶ」。一度で100%の結果が出なくても、肝心なのは同じ失敗を繰り返さないで前よりも良いことを目指すことと思ったら、考え方も少しは楽になりました。
後に、図書室だけでなく留学・奨学金担当を経て、事務所も6年前から中京区に移って活動も活発になり、現在は、文化活動と経理を担当しています。

 

 学生時代、どちらかというとそれほど熱心な学生ではなかった私が、少しは真面目に勉強するようになったのは、イタリア語のある教授のお陰です。その頃運動部のマネジャーをしていて本業の学問が疎かになっていた私は、授業中にその教授に大目玉を食らいました。いつも丁寧で優しい方でしたがその時は本当に恐かったし、その教授にそこまで叱られる自分がなんとも情けなく惨めでした。そして、少しずつでしたが、真面目に勉強し始め、イタリア語の魅力を知り、短期の語学留学も経験したのですが、そこでなぜか思い違いをしてしまいました。帰国し働き始めた私は、言葉教育は応用力だ、なぜ大学の専門教育の場で基礎を重視した教育をするのだと、今思うと顔から火が出るようなことを、イタリア語の教授(この方はまた別の方です)に滔々と話したのです。その方は基礎学力の大切さ・必要性を滾々と分からず屋の私に説いてくださいました。きちんと理解できずにきいていた私でしたが、日々仕事の中でイタリア語に接していくうちに、その話の内容を身に沁みて感じるようになりました。大学で学んだ、単調な飽き飽きするようなあの基本の勉強があるからこそ、何とかなっているのだということに。どんな物事でもそうですが、特に語学は基礎を疎かにしないこと、これが様々な可能性への第一歩になっていくのではないでしょうか。イタリア語、日本語に限らず、言葉というものは、奥の深い教養だと思います。

 

 京都産業大学でイタリア語を学び、巣立っていく皆さんが、様々な可能性を目指し、また、新たなエネルギーを私たちに与えてくださることを願っています。

 
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