木藤 素子 さん

略歴

出身高校:大阪府立高槻南高校
外国語学部言語学科インドネシア語専修 2004年3月卒業
勤務先:株式会社酉島製作所 海外部
(2008年5月現在) 


 私は現在、酉島製作所というポンプを製造する会社に勤めています。発電所や石油プラント、身近なところでは上下水道施設などに使われるポンプを扱っています。私が所属する海外部では、海外から受注の対応やポンプの納期管理などを行っています。

 学生時代はとにかくインドネシアにはまっていました。もともとインドネシアにとても興味があったわけではなく、ただアジアの言葉を学んでみたいなとか、インドネシアの音楽に少し興味があったくらいでした。しかし京産大での授業は予想以上に面白かったです。もちろん言葉や文化の勉強も面白かったのですが、先生方がインドネシアで体験された色々なお話、それがとても心に残っています。インドネシアの話をされる時の先生方は苦い思いでも、いい思い出も目をキラキラさせながら語っておられました!こんな先生方に感化され(?)私もどんどんインドネシアに魅せられていきました。実際、旅行でインドネシアを訪れ、覚えたてのインドネシア語が通じた時の嬉しさは今も覚えています。

 3回生時には、ジョグジャカルタにあるガジャ・マダ大学に2年留学しました。最初は言いたい事がなかなか言えず悔しい思いもしましたが、徐々に自分の言いたい事や相手の言っている事がわかるようになりました。それは下宿の友達が飽きもせず私の下手なインドネシア語に付き合ってくれたお陰です。
2年目は大学の授業だけでなく以前から興味のあったNGO活動にも参加しました。ボランティアの通訳として農業や漁業の調査に参加し始めて実践的にインドネシア語を使いました。自分の語学力のなさに落ち込みましたがとてもいい経験になりましたし、自然の尊さも学びました。留学は語学だけなく、文化や考え方など学ぶものが沢山あります。外国で暮らすことによって日本を客観的に見られるようになるし、世の中には色々な人がいて色々な生き方があるのだという事も感じることが出来るようになれた事は大きな収穫です。

 大学卒業後は、インドネシア語を使って仕事をしたいという思いから、京大にある東南アジア研究所付属図書館でインドネシア語書籍を扱う仕事を1年間しました。その後2年半、自動車メーカーで派遣社員としてインドネシア量産される車の生産準備に携わり、ジャカルタと大阪を行ったり来たりする日々でした。現地では、ローカル部品仕入先を訪れ納期調整や、不具合の問題解決などを行いました。また技術部の方々の通訳として現場に赴くことも多々あり、その際は飛び交う技術用語を訳すのに四苦八苦しました。やはり自分のインドネシア語はまだまだだと落ち込む毎日。それでも下手なりに一生懸命訳して理解してもらえた喜びは大きかったです。
その後、派遣社員でいる事への不安や、担当していたプロジェクトが終了するという事で転職。まだ現在の職場に転職して約2ヶ月。前職の業務内容とは異なるのでまだまだわからない事ばかりで毎日勉強の日々です。残念ながら現業務では英語が主でインドネシア語を使用する機会はありませんが、インドネシアにも工場があるのでいずれはインドネシア語を使う機会があればと思っています。

 最後に学生のみなさんに、心に留めておいて欲しい事があります。まずは挑戦すること。
 迷うなら、まずやってみること。もし今、留学したいとか、この勉強がしてみたい、あの国に行ってみたいと思うならまずは挑戦してみて下さい。やってする後悔よりも、やらないでする後悔の方が大きいものです。もし挑戦して失敗してもそれは後々きっと何かの役に立つと私は思います。
そして2つ目は継続する事です。私が現在まで継続している事の中に英語の勉強があります。高校生の時からラジオで英会話の勉強をしていて、会話はまだまだ苦手ですが仕事で使える程の英語力をつける事が出来、今とても役立っています。たとえそれが上手くなかったとしても、続けている事に意味があると私は思います。長く続けてきたという事は自信にも繋がります。皆さんも今のうちに自分だけの何か続けていけるものを見付けて下さい。

 
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