松林 奈保子 さん

略歴

出身校:京都府立向陽高校
外国語学部言語学科インドネシア語専修 2002年3月卒業
阪和興業株式会社
(2007年11月現在)


Jakarta事務所のスタッフと

 私は、大阪にある阪和興業株式会社という商社に勤めています。
阪和興業は鉄鋼、食品、木材等を扱う商社で、私は鉄鋼関係の貿易の部署に所属しています。
貿易の仕事に興味があり、また学生時代に学んだインドネシア語を活かしたいということから、インドネシアに支店を持つ貿易商社を就職先に選びました。就職活動をしているとき、多数の会社を訪問しましたが、その中で一番女性がイキイキと働いているように見えたことも、阪和興業を選んだ理由のひとつです。現在は、アセアン地域の家電メーカーを主に担当しており、英語やインドネシア語で注文や納期調整、クレーム処理などを行っています。ただのアシスタントとしてだけでなく、ある程度任せられ、自分で考えて仕事ができることに、とてもやりがいを感じています。

 

 京都産業大学では、インドネシア語を専攻していました。
入学するまではインドネシアについてそれ程知識のなかった私ですが、熱心で親身な先生方に教わることができ、また、よいクラスメートにも恵まれ、どんどんインドネシアを好きになっていきました。インドネシア料理店でアルバイトをしたり、休みを利用して現地に旅行に行ったりしているうちに、「実際に住んで、勉強してみたい!」と強く思うようになり、三回生終了後には、一年休学し、ジョグジャカルタのガジャマダ大学に留学を果たしました。

 

 たくさんの友達を作りインドネシア語を早く覚えたいと、現地学生のみの下宿に入り、同じ生活を心がけました。しかし、日焼けし、あまりに同化するようになったのか、数ヵ月後にはしょっちゅう現地の学生と間違われるようになりました。日本人だからと狙われることがなく便利な反面、外国人と思われないため、道を訊かれたり、お店などでゆっくり喋ってもらえず、困ることもよくありました。今となってはよい笑い話です。

 

気候も文化も生活も違うところで生活することは、驚きの連続でしたが、手でご飯を食べることも、トイレットペーパーを使わないことも、そこの土地の理にかなった一番よい方法で、同じようにすることでより近づき、理解を深めることができるようになったと思います。

 

 留学時代で得た経験、友人は私の一生の宝物になりました。友人とは8年以上経った今でも大親友で、今年、私の結婚式の時には、親友家族に来日してもらうことができました。彼女に日本を見てもらうことが私の夢だったので、その夢が叶い本当にうれしかったです。

 

 私はまた、会社の研修制度を利用し、4月入社後、9月までの5ヶ月間、オーストラリアのダーウィンというところに英語留学もしました。

 

 学生時代はインドネシア語漬けであったため、はじめのころは、英語を話そうとしても、インドネシア語が出てくるような状態でしたが、留学時代に身についた、「無茶苦茶でもとりあえず話す!」という精神で、コミュニケーションを図るうち、徐々に話せるようになりました。
この時に学んだ英語は、今の仕事にも非常に役立っています。

 

 社会人となった今、私が学生のみなさんにお薦めしたいのは、できるだけ多くの社会人と話をすることです。
将来何がしたいか、どんな会社に就職すれば良いのかわからないという人はたくさんいると思います。そんなときに、人生の先輩方に「学生時代にどう過ごしていたか」、「社会に出てどんな風に仕事をしているか」といった話を聞くことは、自分の将来へのヒントを与えてくれます。また、将来の夢が決まっている人も、その夢を叶えるには今何をしておくべきかを聞くことはとても有効です。私の場合、大学の先生方には勉強だけでなく、人生全般に関していろいろなお話しを聞かせて頂きました。またアルバイト先で出会った年齢も出身も様々な友人や、留学時代に出会った社会経験のある先輩方に、仕事の話、会社の話をよく聞いていました。ほとんどの方が、仕事のやりがいや、大変さ、楽しさ、人間関係などについて本音で語ってくださいました。社会の現実を教わるとともに、そのことは私の中で理想の働き方を作り上げ、それを叶えるためにはどういう会社に就職すべきかを考えさせてくれました。
周りにそういう社会人がいないということであれば、OB訪問をしてみるのもいいかと思います。
私も、興味のあった企業に勤めている先輩を訪ね、話を聞かせてもらったことがあります。
皆さんが訪ねて行けば、先輩方は喜んで、いろいろな話を聞かせてくれることと思います。
是非、たくさんの先輩方の話を聞き、ヒントをつかんでください。

 

 皆さまの充実した学生生活とご健闘を心より願っております。

 
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