熊谷 信 さん

略歴

東山高校 卒業
外国語学部ドイツ語学科(1977年3月卒業)
勤務先:アミタ株式会社 本社役員室(京都ハンディクラフトセンター)
(2007年10月現在)
Guten Tag ! ドイツ語学科を1977年3月に卒業しました熊谷 信です。
外国語学部創設40周年、おめでとうございます。

近況について

大学を卒業して約30年、現在アミタ株式会社(京都ハンディクラフトセンター・本社)で総務、人事、採用を担当しています。新卒のリクルートも仕事ですので、母校へは年2度程伺います。

外国語学部で学んだ事がどのように活かされているか?

外国語学部出身であり、就職を決める際には学んだ語学を活かすか、それとも全く語学と関係のない仕事をするかで随分と悩みました。しかし結局語学を実践的に活かせる今の会社を選び、京都ハンディクラフトセンター店で外国人ツーリスト向けに日本のカメラ・電化製品、キモノ、伝統工芸品などを販売する仕事からスタートしました。ドイツ人ツーリストが来店した時は嬉しくて思いっきりドイツ語を話して接客をした事を覚えています。ラテン系のお客様も多く、会社でスペイン語を学びました。ドイツ語学科ですが、在学中より英語はある程度出来なければならないと考えていました。第2語学は英語を選択でき、特に1回生の時、石井先生の授業は英会話を中心に進めて頂き、とても有意義な授業で会話の楽しさと大切さを学びました。3回生の時に英検2級に挑戦し、合格。1級は見事にダメだったことも記憶に残っています。当時、就職の為という意識はあまりなく、外国語学部の学生として持っておいたほうが良いくらいの気持ちでした。長い会社生活の中で、店頭販売、ホテル店・空港店の店長、外商営業、単身赴任そして総務と色々な仕事を経験し、常に英語を話す環境にはいました。また、弊社はスイス、ドイツよりSwissMilitary、Laco等の時計を輸入し販売していますので、ドイツ語翻訳の仕事は時々やっています。卒業後歳月を経てまた学んだことを活かせると言う事もあります。

どんな学生生活を送っていたか?

当時ドイツ語学科は大変厳しく進級が難しいと言われていました。一番最初の授業で先生より、「ドイツ語学科はクラブに入っていれば4年で卒業できない」言われ、その言葉にビビッてしまいクラブには入りませんでした。友人とのマージャン、コンパ、旅行、アルバイト等など色々良い経験が出来ました。3回生の9月に、ドイツ語弁論大会に出場を勧められました。12月の南山大学での中部地区大会に向けて準備をし、山辺先生にご指導頂きました。夏の北海道旅行を題材に、「若さ」というテーマで弁論をしましたが、残念ながら8位でした。4回生になり、学生生活や長い休みも最後と思い、アルバイトで貯めた資金を手に夏休みにドイツへ約2ヶ月行きました。Freiburg大学の夏季講習に参加し、そのあと約2週間ヨーロッパを旅行しました。夢のような時間は瞬く間に過ぎてしまい、正直日本へ帰りたくないなぁと思いながら帰国の途につきました。

学生時代にやっておいたほうがいいこと

まずしっかりと勉強をして何かを身につける!この勉強とは大学の勉学+社会勉強です。そして人間関係、同級生、先輩後輩、先生、アルバイト先の人とのお付き合い等、その中で礼儀、言葉遣い、気配りを学んでほしい。次に旅行、国内、海外は問いません、贅沢な旅行でなくて良いのです。時間が許され、若く、感受性の豊かな時に色々なものを見て、人に会い、見聞を広める。これが大事か思います。旅先で見知らぬ人から受けた親切や暖かさ。このような経験があると親切な人になれる気がします。

最後に…

採用担当者として毎年多くの学生さんにお会いします。面接の際にお聞きしたいことは、どのような経験をし、どうのように困難を克服したか?と言う事です。アルバイト先で売上を上げる為の施策や、クラブで部員をまとめるのにどのような苦労をした等などそのようなお話を聞きたいのです。世の中に星の数ほど大学はありますが、京都産業大学は大変恵まれた環境にあると思います。何よりもキャンパスが1ヶ所集中型であること。このメリットを最大限に活かし、色々な経験を積み充実したキャンパスライフと青春の1ページを刻んで下さい。皆さんのご活躍を心よりお祈り申し上げます。
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