畑中 駿太朗さん

略歴

2009年 岐阜県立武義高等学校卒業
2013年 京都産業大学外国語学部国際関係学科卒業後、
専門商社、航空機・自動車部品メーカーを経て、
2019年3月現在、株式会社SUBARUにて自動車部品の調達業務を担当
(2019年3月現在)

私が今勤務している株式会社SUBARUでは、国内の自動車メーカーでは比較的小規模ながらも一部の熱狂的なファンから支持を得る自動車を製造しています。その中で私は調達本部に所属し、現在は主に国内・北中米の取引先から自動車の部品を購入する、所謂バイヤー業務を担当しています。そのオリジナリティ溢れるモノづくり精神のため仕入れる部品も個性的ですが、自分の担当した部品が完成車となり市場に出ることにやりがいを感じます。

新卒で入社した商社から転職した部品メーカーも含め、幸運にも海外と携わる機会があり、多い時期では年間100日程度出張している期間もありました。時には海外で日本との文化の違いに辟易することもありましたが、基本的には抵抗感無く仕事することができ、その原点となるのはやはり国際関係学科での経験だったのではないかと感じます。これまでに2回転職していますが、それでも国際的に働きたいという軸は変わることはありませんでした。

在学中、入学して2回生ほどまではそれほど学業に熱心だったわけではなく、必要な単位さえ取っていれば後は所属していたオーケストラの活動に力を注いでいたような気がします。しかしながら年次を重ね必修が少なくなり卒業・就職が現実的なものとして見えてくる3回生の頃には将来何をしたいかと考えるようになり、やはり仕事で海外を目指したいという気持ちが強くなりました。それには1回生の終盤で学科の同級生と一緒にニュージーランドへフィールドリサーチに行ったことも大きかったと思います。そこで、せっかく国際関係学科に所属しているのならば、と、興味を持った言語や国際政治・経済を多角的に学ぼうと意識しました。特にゼミでは他のメンバーと関心のある国際関係のテーマを議論することができ、今では貴重な時間であったと振り返ります。卒業論文に絡めたフィールドワークと称して一ヶ月ヨーロッパに滞在し、ベルギーでiPhoneが盗まれたことも今では笑い話になりました。

大学生活を振り返ると部活に勉強にと大変充実した生活を送ることができましたが、特に留学は、大学生のうちに行っておけば今よりもさらに海外に対する選択肢の拡がりが持てたはずだと今でも少し後悔します。ただ、留学に行かなくても、大学時代は街に遊びに行くだけで人生経験となる貴重な期間でした。

この度、私の学んだ国際関係学科をベースに国際関係学部が新設されると聞きました。最近の国際情勢は、私の在学していた時期に輪をかけて複雑怪奇ですが、学部新設によりさらに広く深い見識が得られるものと思います。後輩のみなさんが将来に世界へ飛び立ち、もしベルギーでiPhoneを見つけたら、僕に連絡してください。赤いステッカーが貼ってあるやつです。iPhone4Sです。よろしく。

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