三和 雅子 さん

略歴

1985年3月 外国語学部言語学科イタリア語専修卒業
アパレル会社に就社、1年半で退職。その後、旅行関連の仕事に就く。
現在    株式会社阪神ステーションネット勤務
(2018年3月現在)

旅行業務の一番のやりがい

私は今、株式会社阪神ステーションネットという会社に勤務しています。阪神電気鉄道株式会社の100%子会社になります。会社自体は電車定期の販売等いろいろな業務をしているのですが、私は旅行グループに属し、国内主催旅行の企画、販売、グループ・団体旅行の企画、一般の旅行カウンター業務を行っています。旅行業務に携わる人数が少ないので、企画、受付、販売、添乗、精算と全ての業務を行いますが、実際に自分の企画した旅行がお客様にどのように受け取られているのか直接感じられるのは、やはり一番のやりがいです。

学生時代

イタリア語専修クラスは1学年40名ほどだったと思います。高校時代1クラス65名ほどの学校でしたので、授業時間が長くなった上に、人数が少ない為、授業中に先生にあてられる回数が増えたのを覚えています。一度あたったのに、先生がネームカードを落とされてしまい、同じ授業中に2回あてられたのを今でも覚えています(笑)。
その頃、外国語学部の前には、ピロティーがあり、休み時間のたびに、皆でピロティーに集まっていました。ただただ毎日、友人達と楽しんでいたように思います。


「就職」ではなく「就社」

学生時代から旅行をするのは好きでしたが、あまり具体的に「旅行の仕事に就こう」とは考えていませんでした。卒業時にも「これがやりたい!」といった具体的な考えはなく、いま思えば、「就職」ではなく「就社」活動だったように思います。なんせ「自社ビル」の会社ばかりを受験しました。業種は様々でした。結果、自社ビルのアパレル会社に就社しました。もちろん職種はデザイナーなどの専門職では無く、事務職です。ルーティーンワークに疑問を感じ、わずか1年半で退職しました。

旅行関連の仕事に就く

アルバイト気分で応募した添乗員派遣会社が、大手旅行会社へ添乗員を派遣している会社でした。添乗員の資格を取得し、最初の1年は国内添乗、その後、海外添乗へとデビューすることになりました。その頃、海外旅行先として中国がとても人気で、日本に帰っては、1~2日でまた中国へという生活が続きました。特に勉強もしてない中国語が、何となく聞き取れるくらいに! 中国語専攻だったら、ペラペラになっていたかも(笑)。
その後、ヨーロッパ添乗に出ることになります。添乗専門会社に所属していた時には、海外添乗もあり、イタリア語も役立ちました。ペラペラとは話せなくても、ドライバーとガイドの会話などを、ある程度は理解できました。また、空港からホテルへの送迎だけで、日本語のガイドがない場合は、バスの中で簡単な挨拶やショッピングに役立つ言葉などの、ミニ・イタリア語講座をしたこともありました。今のようにイタリア語がメジャーではなかったので、お客様には好評でした。
今の会社に入ってからは、オーガナイザー旅行(一般募集ではなく、社員旅行など、特定の組織の団体)以外は海外添乗がなく、イタリア語に全く触れていないのが現状です。

趣味のノルディック・ウォーキング、堺にて
添乗中に仲間と、伊勢にて

在校生の方へ

学生時代は自由に時間をたっぷりとれる最後のチャンスだと思います。興味のあることには、どんどんチャレンジして下さい。「今さら始めても…」と思うことがあるかもしれませんが、「今」より早いことは絶対にありません。遊びを含めて、色んなことにチャレンジして、色んな人と出会って、専門的な勉強にも励みながら充実した日々を過ごして下さい。
とにかく「今が一番早い!」です。


PAGE TOP