高岡 洋文 さん

略歴

1967年 兵庫県西宮市生まれ 滋賀県安土町育ち 近江八幡市在住
1985年 京都産業大学外国語学部言語学科イタリア語専修に入学
1988年 外務省派遣員試験に合格 在ローマ日本国大使館で2年間勤務
1992年 90年に帰国後、大学卒業
1994年 ローマのイタリアソムリエ協会プロフェッショナル・ソムリエスクールに在籍
1996年 ソムリエとして認定を受けて帰国 京都のイタリアレストランで勤務
2000年 主夫になる その傍らでワインセミナー、ワインイベントを企画
2011年~ 京都外国語大学 非常勤講師 「イタリア生活文化論」
阪急百貨店イタリアフェア ワインセミナー講師
近江八幡市の姉妹都市マントヴァとの交流事業を手掛ける
2016年 株式会社ヴィーテ・イタリア設立 代表取締役
手作り弁当とイタリア料理のお店「ヴィーテ」を開業
(2017年12月現在)

京都産業大学外国語学部創設50周年に寄せて

映画との出会い

中学生の頃から映画を観ることが大好きになり、おこづかいを貯めては滋賀から京都の映画館に月に一、二度一人で出かけたり(当時はDVDはもちろん、レンタルビデオもない時代でした)、テレビで放映される映画を観たりの生活をしていました。最初の大きな出会いは、黒澤明の映画でした。公開当時の「影武者」の映像美や演出の力強さに心底感動しました(その十数年後にイタリアで黒澤明の翻訳冊子を出版する幸運に恵まれました)。

ようやく市販のビデオデッキが一般に出回るようになった時代、高校1年生の時にアルバイトをしてそれを購入して、テレビで放映される映画を撮りまくってました。そして名画座に通うようになり(一乗寺の幻の映画館「京一会館」、今や吉本のシアターと化した「祇園会館」など)、いわゆる「名作」に傾倒していきました。

今でも祇園会館で観た「アラビアのロレンス」と「カッコーの巣の上で」の2本立てが忘れられません。前者の映画音楽と映像のシンクロの圧倒的美しさ!後者の上映が終わった時に満席の場内が拍手喝さいで包まれ、そこここのカップルが感動で抱擁しあっている光景の素晴らしさ!いつしか映画を自分の生業として生きていきたいという気持ちが芽生え始めました。

イタリア映画との出会い

大学で専攻する学問を決める時に、一番の基準となったのは「嫌いじゃない科目を専門とする」という漠然たるものでした。ならば英語ということになるのですが、それほど勉強せずに映画とクラブ活動に没頭していた僕には英語で受かりそうな大学がなく、ならば別の外国語か?と自らに問うた時、その当時名画座で観た3本の映画が自然に脳裏に現れました。タヴィアーニ監督「パードレ・パドローネ」、フランチェスコ・ロージ監督「エボリ」、そして前後篇5時間20分の大作ベルナルド・ベルトルッチ監督「1900年」・・・・全く偶然にもすべてイタリア映画!

「イタリアって、なんか面白そう!」、そんな軽い理由で、京都産業大学の外国語学部に籍を置くことになりました。大学時代は、本当に勉強が楽しかったです。「夏休みとか、はよ終わらんかな!」と思うほど、イタリア語は楽しかった。今でも辞書を手にすると心が落ち着いて、ワクワクします。

ローマでの2+2=4年の滞在

バブル前にイタリアの存在感は日本においては全くありませんでした。今からは想像もつかないほど。先日30年ぶりに高校時代の友人と再会した時に「高岡って、インドネシア語やったよな?」と言われました。僕が産大に入学した85年は、バブルの「イタメシブーム」もまだ、イタリアのファッションブランドの進出もまだの時代でした。

そういう事情もあって、イタリア語を勉強する人が少なく、当然NHKのイタリア語講座もなかった時代で、奇跡的にローマの大使館の派遣員の試験に4回生の時に合格して、2年間赴任するという幸運に恵まれました。それがその後の人生にあまりにも大きな影響を与えることになります。

生活そのものは大使館の中の日本人社会の中にいることももちろん長かったのですが、プライベートの時間はなるべくイタリア人の友人をつくるようにして、イタリア生活を満喫しました。その中でイタリア人の生活から学んだこと、今でも生活の基本として大切にしていることがあります。

  1. 人生は自分なりにアレンジして自分の思ったようにマイペースで歩むこと
  2. どんなことが起こっても、怒ったり焦ったりしないこと
  3. 家族とはスキンシップを大切にすること
帰国後に卒業して、テレビ制作会社で働いたり、映画館で働いたり、僕の人生は「映画」に傾倒していくのですが、非常に違和感というか不愉快感がありました。その在り処が「イタリアの生活感から離れて行っていたこと」だと気づいて、再びイタリアに戻る画策をし、イタリアソムリエ協会のワインスクールに通うことに決めて、ローマに戻りました。

二度目の二年間のローマ滞在で、ワインや食文化を学ぶ中で、身体にしみついた感覚があります。

「ワインとは、歴史風土、その地方の気候、土壌、土着ブドウ品種、人間のメンタリティーや人間の感覚すべてのエキスであり、それは言葉でしか厳密正確に他者に伝えることができない」

小難しい言説かもしれませんが、人間文化の中でもっとも歴史の深いものがワインだと思います。ただ消費されるだけの商品としてのワインももちろん大切なのですが、イタリアワインの本質を理解するためには、積極的に勉強したり、関わっていこうという姿勢が不可欠です。実際にイタリアに行ったり、イタリア人生産者の言葉に耳を傾けたり、自分の感覚を研ぎ澄まそうとすることこそが、もっとも感動的で、もっとも自分らしいイタリアワインの伝え方だろうと思うに至りました。

阪急百貨店イタリアフェアでのセミナー風景

その後の20年 主夫→起業家

ソムリエとしてイタリアで認定を受けて、帰国するわけですがソムリエとしての生活は5年と持ちませんでした。看護師の現妻と結婚して、一児をもうけたところで、生活リズムが妻と合わずに、自分が主夫となって子育てと主夫業を楽しむことにしました。おそらく、それまでのイタリア滞在経験がなければ、そのまま「我慢して」、すれちがいの家族生活を耐え忍びながら、家族との最低限の時間を楽しんでいたのかもしれません。しかし、それまでにイタリアの生活、イタリア人の生活感覚が染みついていた僕は、「何のために結婚したんか分からん!」という理屈で、自分が主夫になる決心をしたのです。

子供が大きくなるにつれて、自分の時間をもてるようになり、ワインセミナーやさまざまなレストランなどでワインセミナーやワインイベントを主催する仕事もできるようになりました。もちろん、通訳や翻訳の仕事も。お客さんからのリクエストで年に一度のイタリアツアーも敢行できるようにもなりました。

この生活の中で一番大きかったのは、子供との時間がたっぷり持てたことです。子育ては、人間を大きく成長させます。事情が許す限り男性も参加するべきでしょう。子供や妻に対する自分の至らなさを常に痛感、反省の繰り返し。また、この日本社会を常に斜めから観察もできます。

その後、義母から弁当業を受け継いだこと、ワイン関連の仕事の中で仲間が増え、2016年に株式会社ヴィーテ・イタリアを興して、手づくり弁当とイタリア料理の店を地元の近江八幡で開業しました。まだまだ会社としては若く、現場作業で手いっぱいで、上手く舵取りができていない部分も多々ありますが、地域貢献できる会社に育て上げたいと希望でいっぱいの生活を歩み続けています。今現在50歳ですから、起業するにはかなり遅いタイミングではありますが、全然関係ないです(笑)

  1. 職人業としての料理とサービスをお客様に提供できるイタリア料理店
  2. 手作り、無添加の個性あふれる弁当を広く味わっていただける弁当店
  3. イタリアとの交流の中で、イタリアの本質をお伝えしながら、自らの社会生活を見つめなおしてクオリティーの高い街づくりに貢献するイベント企画部→ワインと映画をシンクロさせる目論見を実現させることで、映画から始まった僕の人生が一つの高みに昇華するでしょう。

そんな事業内容の会社を地域に根差して、少しずつ大きくしていくことが今現在の僕の念願であり目標です。

こんな僕の人生は、いつも傍らで応援してくれる妻の存在なくしては成り立ちません。人生最大の共犯者に心から感謝です。 これからの僕の余生は妻への恩返しみたいなものです。
ヴィーテ店内(ロールスクリーンは近江八幡の姉妹都市マントヴァ)

メッセージ

できれば大学在学中に、あなたが専攻している学問を学ぶ中で、心から感動して、絶対に一生の仕事にするぞ!と奮い立つような強くて深い体験をしなければなりません。そのためにも、真摯に勉強して、自分を磨くためのありとあらゆることに挑戦してください。ありとあらゆる意味で外に出るべきです。そして、外から内側をみることです。

積極的に努力すれば、心から楽しめること、これさえあれば人生なんとかやっていけるという事、物、人に必ず出会いますから。そう!「なんとかやっていける」「どっこい生きてる」 その感覚に満足できることが大切です。自信を持って、元気に、時に獰猛に、歩んでください!

最後まで読んでくれてありがとう!!
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