長窪 真也 さん

略歴

出身高校:神奈川県立湘南高校通信制、1973年卒
大学卒業年:1978年
留学経験:夏季短期講座(Siena, Foggia)、1979年7-9月
タジマ工業(株)勤務
顔写真は、2017年7月、第九を合唱した後で
(2017年11月現在)
代理店ショールーム、工業ミシンが展示されてます(2014年10月)
1978年3月イタリア語専修卒業の長窪と申します。イタリア語は人生を楽しませてくれるもの。そう思っている私の経歴を紹介させて頂きます。
53年7月岐阜の山村で6人兄弟の末子として出生。実家は床屋。就学前、当時珍しいプレーヤ付きラジオでレコード取り換えのお手伝い、音楽好きに。中学の修学旅行、箱根芦ノ湖の遊覧船上で外国人夫婦に英語で話しかけられ、全く答えられず悔しい思い。でもそれが外国語への憧れを抱いた瞬間でした。
69年春、横須賀の陸上自衛隊少年工科学校に入隊。米軍基地を訪れ、自販機や食事内容に驚く。72年札幌五輪、ジャネット・リンのポスター欲しさに《ニューズウイーク》購読。外国語を目指す気持ちが次第に膨らみ、大学進学を決意。それを父親に告げると、ならば私の姉が暮す所に行ったらと一言。
73年春、京都。受験準備を予備校で、しかし生活費と学費捻出のバイトにかまけ、自力入学を目指す。学ぶべきは欧州の言語と、産大のイタリア語を選び、ついに74年入学。大学生活、男に囲まれていた生活が一変。女子学生の多い外国語学部、嬉しかったね。でも言語習得の決意はどこへやら。四人揃えば「授業を抜け出して」雀荘に直行。でもバイトはしっかりやりました。
卒業、洋書輸入販売会社に就職。しかし長く続きませんでした。失意の中、かねてより興味のあった三島市のヨガ道場を訪ね、立ち直りのきっかけに。78年10月、鈴鹿の自動車工場で工員。卒業1年余りが経過したある日、恩師の阿部史郎先生を訪ねると、夏季留学を斡旋して下さいました。79年7月Sienaへ、そしてFoggia。3ケ月間、イタリアの太陽が私を照らし続けました。
映画《ポスティーノ》のロケ地の一つ、プローチダ島のカフェレストラン(2016年9月)
希望を胸に帰国、名古屋でイタリアに関わる仕事を探す。直ぐには見つからず、まず事務用品販売卸会社に。新聞求人欄で工業用刺繍ミシン製造販売会社に出会う。81年5月就職、多くの日本製品が世界に羽ばたいていた。イタリアのファッション産業の中心地ミラノ、そこの代理店を訪れ、展示会での製品紹介やユーザー訪問の業務。現地技術者と月曜早朝ミラノを発ち、一番遠い地方へ。そして修理訪問を続け、金曜夕方ミラノに戻り、1週間を終えました。
現場で働くイタリア人に触れ、彼らの衣食住の楽しみ方に感心。休日は映画・絵画・建築鑑賞に出かけ、そこにある物を楽しむ。ネットの発達した現在は、気軽にイタリア語に接しています。2012年3月、地域活動として「イタリア語学習とカンツォーネ鑑賞会」を開催、今日に至ります。

ここまで読んで下さった皆さんにAleandro Baldiが歌う《Passerà》の詞の一部を紹介し、この原稿を終えたいと思います。ありがとうございました。
Le canzoni non si scrivono ma nascono da sé
son le cose che succedono ogni giorno intorno a noi
le canzoni basta coglierle ce n'è una anche per te
che fai più fatica a vivere e non sorridi mai.


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