村田 龍介さん

略歴

2003年 神奈川県立海老名高校 卒業
2007年 京都産業大学 外国語学部フランス語学科 卒業
2008年 フリーランサーとして活動開始
2011年 フランス語通訳案内士資格取得
大学受験を意識し始めた2002年は日韓共催のサッカーW杯が行われた年で、日本代表の監督がフランス人のフィリップ・トルシエだったこともあり、頻繁にメディアを通してフランス語に触れる機会が頻繁にありました。また、幼少期からスポーツが好きで、スポーツジャーナリズムに興味を持ち始めたのも同じ頃でした。気になる言語が、オリンピックをはじめ、スポーツの世界で比較的重要視されていると知ったことが、大学でフランス語を習い始めたきっかけの1つでした。

入学直後に男性名詞や女性名詞の存在を知り、随分と複雑な言語を選択したという思いと同時に、テレビ画面を通して意味も分からず耳にしていたフレーズが少しずつ理解できるようになることが楽しくて仕方ありませんでした。
残念ながらフランスに長期留学をする機会は無かったため、日本にいながら会話力を伸ばす方法を模索し、エシャンジュ(語学交換)という方法にたどり着きました。同年代のフランス人とフランス語を話し続けるトレーニングは非常に効果的で、現在の仕事をこなせるのもエシャンジュで培った会話力のウエートが大半を占めています。
読解や文法は時間があれば平塚先生や柴山先生に納得がいくまで質問をしていました。自分自身もフランス語を話すことは好きですが、お二人のフランス語に対する情熱にはいまだに叶いません。説明していただいた内容は今になっても仕事上のメールの読解や翻訳業務に役立つものばかりです。是非現役学生の皆さんにも疑問点は積極的に質問していただきたいものです。

こうしてスポーツジャーナリズムは頭の片隅へと追いやられ、フランス語を使える仕事がしたいという気持ちが上回るようになり、外資系や商社を中心に就職活動を進めましたが、新卒採用でフランス語能力を求める企業は極めて少ないという現実も目の当たりにしました。苦労の末、フランス食材を取扱う専門商社に就職しましたが、フランス語への思いを断ち切ることはできず、僅か3ヶ月で退職を決意しました。

都内におけるフランス人学生のアテンド業務や、フランス・リヨンでの短期インターンシップを経て、2008年からはフリーランサーとしての活動を始めました。百貨店でのフランス人バター職人の通訳、旅行番組や原発関連映画の撮影コーディネート、フランスにおける和雑貨の営業、仏領ポリネシア(タヒチ)の祭典に関する書籍翻訳など業務内容は様々です。東京で開催された世界体操や、力士の撮影コーディネートにも関わることができ、頭の片隅に追いやられていたスポーツと仕事が改めて繋がり出すという嬉しい誤算もありました。

一般的にフランス語を仕事に使いたいと思い立つと、フランス語能力の向上だけに意識が向きがちになりますが、それ以上にコミュニケーション能力や、現場対応能力が不可欠であることを現在も身をもって学んでいる最中です。日本を訪れるフランス語圏の方々に対し、より正確に日本を伝えたいという思いから2011年には通訳案内士資格も取得しました。しかし、歴史や建造物など記録として残っている物事よりも、日本人ならではの気配りや連帯感など、接してみて初めて分かる事柄を感じてもらいたいという思いで仕事をしています。この心掛けにより、クライアントと出向先の方々との潤滑油のような存在になることができ、交渉がまとまったり、当事者同士が仲良くなったり姿を見ると仕事のやりがいというものを感じます。

それぞれの業界の才能の持ち主と各地で時間を共有させていただくことはこの上ない幸せです。信頼して仕事を依頼してくださる方々や、熱意を持ってフランス語を教えてくださった方々に感謝するとともに、これからもこのような経験を還元することで、少しでもフランス語学習や学生生活、あるいは就職活動の手掛かりになればと願っています。
PAGE TOP