菊岡 美紀(旧姓 木下) さん

略歴

(タイキッチンパクチー/株式会社菊岡夫婦社)
1991年 外国語学部英米語学科卒業
1997年 夫婦で世界一周旅行(約200日間)
2005年 単身でタイ・バンコクへ語学留学(500日)
2009年 河原町丸太町にタイ料理店「パクチー」を開業
2015年 南ラオス僻村に「パクチー」の起業目的であった小学校を建設
京都市内等で5店舗運営、現在に至る(2015年12月)

「人生は予期せぬ思わぬ方向へ」

สวัสดีค่ะ! サワッディーカ!(タイ語で「こんにちは」という意味です)
思い出多き「産大」を卒業して早や25年経ちました。この度は卒業生としてみなさまにメッセージをお贈りできる機会を頂きましたことに感謝致します。

私にとって大学で勉強することは、子供の頃からの目標でした。進学したかったのは、中学時代から好きだった英語をより学べる英語学科がある大学でした。いろいろ探した結果、英米語学科がある京都産業大学を第一志望に定め、不器用な私はコツコツと受験勉強をし、なんとか無事に外国語学部英米語学科に合格!
第一志望でしたので嬉しさも格別でした。
ところが、在学中はもっぱら学業よりも主にサークル活動や学友とのお付き合い活動にいそしみ、恥ずかしながら英語の方はそこそこといった感じでなんとか卒業させていただいたのを懐かしく思い出します。
卒業後は念願であった酒類メーカーに就職でき、営業職として社会人生活をスタートさせました。人並みに泣いたり笑ったりの充実した日々を過ごせたのも今となっては財産です。
と、ここまでの人生は、意外と自分が思うように運んできたのですが、ここからが自分でも予想していなかった方向へと進んでいきました。
あんなに好きだった会社を特別な事情もありましたが、結婚で退職することになり、心に大きな穴がぽっかり開いていました。その後、奮起して再就職、、そしてまたまた転機が。ひょんなことから相棒と二人で世界一周旅行!へ行くことになり200日間も世界を放浪。。。 と人生が徐々に私の予期せぬ方向に転がりだしました。想定外の人生です。

20代後半からから30代後半までの私はいつも自分の進む道を迷っていました。今から思えば仕事のスキルも特にない現状の自分に自信がなかったのでしょうね。予期せぬ方向に進んでいく人生を「こんなはずじゃなかった」とネガティブに捉えたりすることもありました。今では自分が歩んできた人生は全て自分の糧となっていることを実感していますが、当時の私は自信がもてず何をしたらよいのかわからない日々が続きました。
さらに転機となったのは、単身で行ったタイ・バンコクへの語学留学です。世界一周旅行の後も夫婦で東南アジアを巡る旅をしていて、タイ語に興味を持ったのがタイへの留学のきっかけです。もう一つ、子供の頃から一度は外国で生活してみたいという願望もありました。
留学中はまず私立の語学学校でタイ語の基礎を学び、その後国立大学の聴講生として現地の大学生と一緒に学びました。「行くからにはモノにしてこい!」という主人の激励を受け、1年3か月の間タイ語を習得すべく真剣に勉強しました。と同時にタイの行事にはできるだけ参加し、現地の慣習や文化を目で見て感じるように心掛けました。 コツコツひたすら勉強した結果、「ポー6」という小学校6年生程度の語学力があるか判定する試験を受け合格しました。タイに来る前はゼロ歳児だった私の語学力が1年3か月後に小学校6年生 つまり12歳のレベルにまであがったのです。このポー6の合格は、私にとって大きな自信になりました。
帰国後はタイ語を活かせる就職先を探し、なんとか大阪にあるタイ料理の会社に就職できました。そして2年後の40才の時に、人生最大の転機となる出来事、タイ料理店を起業してしまうのです。店名はパクチー。パクチーを始めたのはタイの語学留学経験を活かしたいという思いもありましたが「アジアに学校を建てて社会貢献したい」という夫婦共通の大きな目標があったからです。
この開業は間違いなく「予期せぬ方向」だったのですが、自らのぞんで舵をきりました。
開業当初は苦労の連続!人の上に立って仕事をした経験がない私にとって、人に指示して仕事をしてもらうということは正に苦行でした。人に任せることができず勝手に暴走。。。当時のスタッフたちには本当に迷惑をかけました。
心身共に疲れきり。。。毎日落ち込む日々を過ごし。。。
オープンして半年後「自分が変わらなければ、何も始まらない」ということにやっと気づき、少しずつ仕事を人に任せる「練習」を始めました。恰好をつけても始まらない。スタッフに力を借りることで、できることが何倍にもなる。人に任せる「練習」を始めたことで、自分の中のへんなプライドもなくなり自然と前を向いて歩んでいくことができました。

夫婦共通の目標である「アジアに小学校を建てる」ために。
家族のようなスタッフたちの幸せのために。
パクチーに来てくださるお客様が喜んでくださるために。
2つも3つも4つもある舵をきりながら、コツコツと前進していきました。

開業7年目の2015年、南ラオスのナサイプーカム村に小学校を建てることができました。
目標を実現できたのは、パクチー開業から携わっていただいた方々のお力添えがあったからこそ。感謝を忘れずに日々コツコツを歩んでいきます。
ここまでの歩みの中で、不思議と転機ごとに産大時代の友人達がいつも手助けや心にしみるアドバイスをくれました。学部や学科の違う卒業生ともたくさん友人になれ、その友人にも力添えをしてもらっています。ほんと、神山スピリッツに感謝ですね。

最後に後輩のみなさんへのメーセージは
「人生、予期せぬことはいっぱい起こります。でも、それらすべてが将来の糧になり、次の楽しい予期せぬことへのチャレンジに活かされていきます。そして、そのチャレンジに必要なスパイスが、学生時代の友人や様々な経験であると思います。在学中にたくさんいろんな経験をしてください。若いみなさんには時間はたっぷりあるのですから」。

โชคดีค่ะ! チョークディカ!(タイ語で「幸運を!」)

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