勝西 紀之 さん

略歴

出身高校:滋賀県立石山高等学校
滞在国:インドネシア共和国 ジャカルタ
勤務先:インドネシア三井物産(PT. MITSUI INDONESIA)業務部
経歴:1998年 京都産業大学外国語学部言語学科インドネシア語専修卒業。
大阪外国語大学大学院博士前期課程修了、在デンパサール出張駐在官事務所(現 デンパサール総領事館)派遣員、在インドネシア日本国大使館専門調査員(広報・文化担当)を経て現職。
(2007年9月現在)
私は現在、インドネシアの首都ジャカルタに事務所をもつインドネシア三井物産の業務部に勤務しています。商社というと営業を思い浮かべられるかもしれませんが、私は業務部で主に社外関係者(例えば日本人会、インドネシア商工会議所、政府関係機関)との連絡調整を中心とした渉外業務、社会貢献事業(CSR)を担当し、職場では日本語とインドネシア語と英語が飛び交っています。

こちらで仕事をしていると、「どうしてインドネシア語を勉強したの?」とインドネシア人の同僚・友人に聞かれますし、こちらにいる日本人同士でも話題になります。大学でインドネシア語を専攻したと答えると、特にインドネシア人は「へぇー。大学で教えているところがあるのか」と驚く人が結構います。 思い返すと、私にとってインドネシアとの最初の出会いは、高校1年生の時のインドネシア(ジャカルタ・ジョグジャカルタ)ホームステイ体験でした。初めての海外で、しかもホテルなどではなくインドネシアの一般家庭にホームステイで、トイレに紙は無いし、食事は手で食べるし、明け方4時頃にイスラム教の礼拝時間を知らせる「アザーン」と呼ばれる放送が流れるし、当時の私にとっては本当に『カルチャー・ショック』の連続だったことを今でもよく覚えています。 ホームステイへ出発前に教えてもらった片言のインドネシア語と中学英語、そして身振り手振りで悪戦苦闘した3週間がつい昨日のことのようです。あの時のいろいろな体験がインドネシアという国を私に強く印象づけた事は間違いありません。

そんな経験もあり、大学進学時に、「他の人と違うことをやってみたい。外国に行って仕事をしたい。」と思った私は、京都産業大学に入学し、インドネシア語を学びはじめました。当時のインドネシア語専修の同級生は18人、男性は5人という環境で、4年間インドネシア語を勉強しました。動詞や名詞に使われる接辞の変化が難しくて覚えるのに苦労しましたし、単語も英語には無いものばかりで最初のうちは戸惑いましたが、よき友人と先生方に恵まれ、少しずつそれらを解決していきました。また講義中やそれ以外の場所で先生方から得たものは非常に多く、講義の後に先生方のいる研究室へ出入りする事はもちろん、食事や旅行にご一緒させていただいたりすることを通じ、多くのものを教えていただいた大変有意義な4年間でした。もちろん、在学中にインドネシアを旅行して、自分のインドネシア語を「試す」ことも行いました。言い間違えて笑われたり、意図が伝わらなくて行き先とは全く違ったところへ連れて行かれたりといろいろ失敗もありましたが、それらはまた日本に帰って更に勉強する動機ともなりました。それにインドネシアの人々は相手がインドネシア語を話せると、とても喜んでくれます。これは私が今までインドネシアと関わってこられた大きな理由の一つです。

京都産業大学での4年間で、私はただ単にインドネシアの言葉、文化や歴史を教わったのではなく、抽象的な表現になってしまいますが「インドネシアがどんなところか。インドネシアとは何か。」を教えていただいたと思っています。大学卒業後、大学院への進学、留学、在インドネシア日本大使館での専門調査員としての勤務を経て、現在の仕事をしていますが、インドネシアについては大学時代に培ったことが基礎になっています。一例ですが、言葉については、大学時代にきちんと文法を習得しているおかげで知らない単語を見つけることがあってもコミュニケーションに支障はありません。親しい間柄で用いられる、いわゆるスラングから公式な場で用いる形式まで対応できますし、インドネシア語のビジネス文章を書くことももちろん可能です。4年間しっかり勉強しておいて良かったと今ではそう思っています。しかし、今でも私のインドネシア語を「アナウンサーが話しているみたいだ。外国人っぽさが抜けないな」なんていう友人もいますし、学生時代から使っている辞書は未だに手放せません。なかなかネイティブ・スピーカーには近づけませんね。単語を覚えるだけではなく、インドネシアのことをできるだけ貪欲に知ることが上手にコミュニケーションをとるためには必要で、今でも毎日が勉強だと思っています。

インドネシアで働いている私にとって、インドネシア語が大事な武器であることは言うまでもありませんが、現在、海外におけるコミュニケーションの基本ツールはやはり英語です。私の職場でも英語は必須ですし、皆さんには、決してインドネシア語一辺倒ではなく、是非英語も勉強してほしいと思います。英語プラス「応用のきくインドネシア語」があれば、インドネシアや日本、またはそれ以外の国でも様々な可能性が広がることでしょう。それから、相手が外国人に限らず、人と話すときには様々な知識が必要です、是非時間のある学生時代にたくさんの知識を吸収するようにしてください。どんな知識がいつ必要になるかは本当にわかりません。

外国語を学ぶ事はその国や地域の文化、社会のあり様を学ぶことでもあります。異なるものに飛び込んでも失敗を恐れず何事にもチャレンジする姿勢、異なる考え方・文化を受け入れる柔軟な姿勢を常に大事にしてほしいと思います。必ずしも「日本の常識」は「世界の常識」ではありません。自分の価値観と違ったものを拒絶するのではなく、上手に受け止め、自分の中に取り込んでいく、この事は私がインドネシアで仕事をはじめて以来、今でも特に気をつけています。

政治・経済・社会情勢などインドネシアと日本、そして世界を取り巻く状況は様々ですが、インドネシアはこれからも日本にとって重要な国でありつづけるでしょう。ビジネスや国際協力、文化交流など様々な分野で京都産業大学の卒業生が日本とインドネシアの掛け橋になることを願ってやみません。
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