村部 興 さん

略歴

言語学科ロシア語専修(1987年3月卒業)
外務省領事局邦人テロ対策室
(2007年8月現在)

近況について

私は、昭和57年に大阪の清風高校を卒業し、同年、本学外国語学部(ロシア語専修)に入学しました。昭和62年に卒業した後は、伊藤萬(イトマン/現・住金物産)、社団法人ロシア東欧貿易会(現・ロシアNIS貿易会)、在ユジノ・サハリンスク総領事館(専門調査員)、在カザフスタン日本大使館(専門調査員)等での勤務を経て、外務省専門職中途採用試験に合格して外務省に入省し、現在、領事局邦人テロ対策室(課長補佐)に勤務しています。

ロシア(語)との出会い、 外国語学部で学んだことがどのように活かされているか

私がロシアに対するはっきりとした関心を持つきっかけとなったのは、冷戦さなかの1976年に、ソ連(当時)の現役将校がミグ25戦闘機で函館に亡命したいわゆる「ミグ25事件」でした。その後もロシアへの関心は消えることなく、結果的に、私が大学でロシア語を専攻することに繋がったような気がします。このような経緯を辿って半ば運命的にロシア語を学ぶことになりましたが、正直のところ私自身は余り模範的なロシア語学徒ではありませんでしたので、語学の上達法はその道の達人に譲りたいと思います。敢えて参考までに申し上げれば、文法の習得、辞書をこまめに引く(読む)、毎日1時間程度でも時間を見つけてロシア語に触れるといったことは学生時代から現在に至るまで励行してきていますし、これらのことは語学上達の上で多少なりとも効果があったような気がしています。
ただし、私は、大学でロシア語を専攻したからといって、是が非でも専攻語学を活かす職業に就くべきとは考えていません。理由は、大学で何かを専攻するということのそもそもの目的は、社会を分析・理解するための方法論を学ぶ手段を身につけるためにあると考えるからです。しかし、折角専攻した以上、専攻分野に関係する何らかのライフワークを見つけるといったことにより末永い関係を保つことは、その後の人生を豊かなものにしてくれると思います。また、そのような関係を持ち続けていけば、人生の何れの段階でまた違った展開が出てくる可能性もあるのではと思います。

どんな学生生活を送っていたか

私は大学に通常より1年多い5年在籍しましたが、今振り返って感じることは、何も急いで社会に出る必要はない、学生時代の1年や2年の遠回りはその後の人生に何ら否定的な影響を及ぼさないということです。無論、進んで人より余計に長い学生生活を送る必要はありませんが、おおらかな気持ちで自らの視野を広めることが出来るのなら、敢えて遠回りすることも必要と考えます。
私の学生時代は、ロシア語の習得よりも、入学前に自らに目標として課した4年間に書籍千冊の読破と、京都に点在する社寺仏閣を可能な限り訪れることに、より多くの時間を割きました。結果的に、書籍千冊の読破は2年余で達成し、又かなりの数の社寺仏閣を訪れる機会を得ましたが、これらの事柄は、学生時代の良き思い出となっています。実際に社会に出てみてつくづく感じることは、自分が自由に使える時間は意外に限られおり、本を読む時間を見つけることすらままならないということです。そのような訳で、後輩の方々1人1人が、潤沢な時間がある学生時代にしか出来ないことを見い出し、それに積極的に取り組まれることを期待しています。
PAGE TOP