051017 3年次・久禮郁子訳

2005年10月17日付ピキラン・ラヤット紙(第26面dompet dhuafa bandung広告面)より

11人のお菓子職人

アチェとスムットの人々が朝夕にコーヒーを飲む習慣は、いつも、kue bawangのようなアチェオリジナルの食べ物と共にたのしまれます。特に、祝宴の際には、その地域特有のスナックがたくさん用意されます。津波災害後も、この習慣はラムンガを含むアチェの人々の脳裏からそのまま消え去ってはいませんでした。Kue bawang作りという事業を起こす構想が持ち上がりました。政府の作った仮設住宅に住む十数人の主婦達が採用され、「dua bawang」ブランドのDDB kue bawang職人になりました。一滴の博愛精神がやがて大きな一塊になるのです。

煎りココナッツ職人

kelapa gongsengは、ココナッツをおろして、干してから、柔らかくなるまで煎って挽いたものです。カレー煮や、サユルロデのような、あらゆるアチェ特有の料理に欠かせない調味料です。この調味料のニーズは非常に高く、特に祝宴の際には、何キロも必要とされます。一滴の博愛精神がやがて大きな一塊になるのです。

アヒル養殖業者

お菓子のようなもの以外にも、半熟卵(アヒルや地鶏のもの)もアチェやスムットの人々の朝夕にコーヒーを飲む習慣のつまみにされます。ほとんどすべての喫茶店に、それどころか、ほとんどすべての家にもこのメニューは用意されています。それ以外にも、さらに多くのワルンやルママカンにも、塩卵に調理されたアヒルの卵が用意されています。アヒルの肉も、魚にかわるおかずになります。その判断で、DDB は、次のような施設を用意しました。それは、大アチェ県スブンアユン村で基金のパートナーそれぞれにアヒルの飼育小屋と、仕事の資本である生後一日のアヒルの雛210匹を供給しました(計2100匹)。五ヶ月間育てて、生み出されるアヒルの卵と、卵を産まなくなって2年後に絞められたアヒルの肉から利益を得られることが予測されます。努力による汗は、物乞いすることよりも尊いのです。一滴の博愛精神がやがて大きな一塊になるのです。

DDB基金の魚商人

DDBのパートナーである魚商人達は、毎日、マラハヤティ海岸で漁に出る数人の漁師から様々な種類の海水魚を得ます。一部は必要としている人に直接売られ、半分は大アチェやバンダアチェ周辺の市場へ供給されます。魚の売買は、津波のずっと前から彼らに受け入れられてきました。書くパートナー達に魚用の籠と仕事の資本金が与えられるという投資が行われました。それらはすべて、組織(集団制度)によって行われます。力を合わせればより大きな力に成ることが立証されます。


一滴の博愛精神がやがて大きな一塊になるのです。

ドアマット職人

津波前、ラムガのドアマット職人の一人であるアドマンはすでに十分顧客を持っていました。ナングロアチェの大地を木っ端微塵に壊滅させた自然の怒りは、彼が雨風を凌ぐ場所までもを破壊しました。家を失わなければならなかったとはいえ、幸運なことに、妻と、まだ小学生である二人の娘は無事でした。アドマンが大アチェ県ラムガ村のコミュニティリカバリープログラムの中でDDBのドアマット職人パートナーとなった時、さわやかな風が吹きました。この時、店店は既に、出来上がったドアマットを再び引き受ける準備が出来ていました。一滴の博愛精神がやがて大きな一塊になるのです。


ムラユ地方オリジナルのお土産に対する人々のニーズは十分に大きなものです。カサブはこの時には既にプラミナン(新婦の飾り椅子)の予約を受けていました。すべての新しい製品はすぐに売れてしまい、今日までにDDBパートナーのカサブ職人はまだストックを作れていません。この仕事は通常、40人の職人によって1ヶ月でなされます。DDBパートナーの職人一人当たり、月15日の仕事で150,000ルピアの給料を得られることが予想されます。その内の一人であるマラ。あの2004年12月26日、灰色の日曜日、一人の子どもを持つ彼女の家は津波にさらわれてしまいました。しばらくの間政府の仮設住宅にすんだ後、自分がDDBコミュニティリカバリープログラムのパートナーになろうと自覚した時、一筋の光が射し込みました。あらゆる出来事は必ず教訓を含みます。一滴の博愛精神が大きな一塊になるのです。

(2005年12月10日、3年次インドネシア教育大学留学中・久禮郁子訳)

PAGE TOP