041229 2年次・川井智子訳

2004年12月29日付コンパス紙より

激しい災害が起こって3日後、バンダアチェにはひどい死臭がたちこめている。市民は自分や家族の今後の行く末も定まらない中で、遺体の処理どころではなく、遺体が散乱している。また、3日間休みなしに働いていた軍人たちにも疲労の色が濃く、彼ら自身も津波によるトラウマも抱えている。


本紙の昨日12月28日(火)の取材によると、空港から約2kmの道沿いには遺体が転がり、空港から約5kmのランバロには、被災者の遺体が500体も積み上げられ埋葬されずにいるのが確認されている。また、バンダアチェの中心部、バイトゥルラフマンモスクの前庭では、遺体が水に運ばれてきた瓦礫の中に散乱している。そのあまりにも多くの遺体は腐臭を放ち始め、腐臭は何百メートルも離れた場所にも及んでいる。


ユドヨノ大統領は、昨日バンダアチェで、この3日間は大統領就任以来最もつらい3日間となってしまったと語り、バンダアチェのみでも6000人に及ぶであろう犠牲者を深く悼む声明を出した。


そして、被災者を受け入れているいくつかの病院も、悲惨な状況にある。バンダアチェのいくつかの病院では、すでにベッド、病室数が足りなくなっており、すぐにでも傷の手当てがされなければならない被災者も、やむをえず病院の廊下や床に横たえられている。


また、バンダアチェでは停電が続き暗いばかりでなく、食料や清潔な水も不足している。燃料を手に入れようと並ぶ人々の姿も見られるが、ガソリンが底をつき、わずかに軽油が残っているだけのため、市内と空港間の路線も含め、市内交通機関は麻痺している。車は道端に積まれている状態である。


空港には、ほとんどが華人である避難民、数百名が押しかけている。彼らは家も全壊し、食料もないため、アチェを去ろうとしているのだ。


被災者の救助活動は進められていない。イスカンダル・ムダ陸軍軍管区准将のM・ヤフヤも、軍管区司令官の奥さんを助けようとして丸太に直撃され背骨を骨折し、ヘラクレス戦闘機で運ばれるはずだったが、プロペラが動かず戦闘機は飛ばなかった。


被災した各地での避難民の数は日ごとに増えている。バンダアチェの避難民は15万人に達していると推定されるが、まだ対策本部や被災者のはっきりとした受入れ場所が無いため、避難民たちは道端、モスク、高台や空港内にも溢れている。北アチェ地区では昨日夕方までに避難民は49,000人以上と確認された。


昨夜21時には、余震も3回起こり、その間には、バンダアチェの市場が火事になり、リンセにあるインドフード社の倉庫が、空腹に耐えかねた人々によって略奪に遭った。


昨日まで、購入し調理することのできる食料は全くない。人々はすぐに食べることのできる物を送ってくれるよう援助を呼びかけている。


また、昨夜23時、ランバロでは、集団埋葬のために約500の遺体が運ばれ始めた。それらの遺体はすでに腐敗しており、そこから病気が蔓延する恐れがあるため遺体を放置していた場所も消毒されなければならない。


(2005年3月31日、2年次パジャジャラン大学留学中・川井智子訳)

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