050115 4年次・石井玲奈、4年次・中江麻希共訳

2005年1月15日付スランビ・インドネシア紙より

ベドゥ・サイニ氏(スランビ・インドネシア紙カメラマン)の証言から

2004年12月26日日曜日、7時57分(現地時間)頃、巨大地震がバンダアチェを揺さぶった時、ベドゥ・サイニ(38歳)は、妻のカリダ(35歳)と3の子ども、ニスリナ(6歳)、カトルム(4歳)とまだ名前をつけていない4ヶ月の男の赤ちゃんと家にいた。


およそ3分後、より大きな揺れがバンダアチェを震わせたが、彼のジャーナリスト魂は彼を突き動かし、彼は飛び上がって愛用のカメラを引き寄せた。「必ず撮らなければならないものがある。」と話し、妻と子どもたちが止めるのも構わず、彼は外へ飛び出し、バンダアチェの中心シンパンリマ地区までバイクを飛ばした。シンパン・リマに着くと、彼の目には迫ってくる水から逃げ惑う人々の姿が飛び込んできた。


彼のカメラはあらゆる物に向けられた。あの時、彼の目前で人々が自分の身を守るため逃げ惑っている中で、何を撮っていいのか戸惑ったと、彼は認めている。しかし、その時にしか撮れない写真を撮ろうとする彼の強い意志は、彼をその場に留まらせた。彼は目前でパニックになっている人々を撮り続け、迫ってくる水も彼の勇気を萎えさせはしなかった。さらに、彼は別の写真を撮ろうとより高い場所へ登っていった。「その時私は悲しみの中にいました。泥の混じる水に襲われる人々、水に流されていく母と子の姿が目に焼きついているのです。」と、声をつまらせながら彼は話している。


突然、彼は家にいる妻や3人の子どもたちのことを思い出し、あわててさっき乗り捨てたバイクを探した。やっと、逃げる人々に蹴られ倒されていたバイクを見つけ、家を目指し走り続けた。途中、カメラが濡れてはいけないと思い、ザイヌル・アビディン病院前のある店にカメラを預け、再びランバロ・スケップにある家を目指した。


「あの時は、崩壊した家を見て、生きた心地がしませんでした。」と彼は話す。彼は、子どもと妻のことを思い出し、あちこち探し回り、やっと家からそんなに遠くない所で柵につかまっている妻と2人の子どもたちを見つけた。しかし、赤ちゃんはどこにもいなかった。「弟はどこに?」彼は妻と子どもたちに言った。赤ちゃんがいなくなってしまったのを知り、とにかく、彼は真ん中の子のカトルムを引き寄せた。


泥水の中で、彼は赤ちゃんを探そうとカトルムの手を握って歩き出し、妻のカリダも長女を抱いたまま、彼の後ろについてきた。しかし、突然激流が再びカリダに襲いかかった。子どもを抱いていることも忘れ、反射的に彼女は柵につかまった。長女のニスリナは波に飲まれてしまった。「お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃんの足が見えてる!」カトルムは叫んだ。彼は、カトルムの手を握ったまま、倒れた妻を助け起こした。


その後、彼はいなくなった2人の子どもをまた探し始めた。彼は目の前を通り過ぎる子どもの顔を1人ずつ確かめ、もしや、この子どもたちの中にわが子がいるのかもしれないと、すでに息絶えている子どもさえも注意深く見ていった。しかし、ついに2人の子どもに出会うことはなかった。いつの間にか、夜が訪れた。彼と妻、残された子どもはランバロで他の避難してきた人たちをと合流したが、その夜、子どもの顔が浮かび続けた。次の朝、彼は妻と子どもをバンダアチェから110キロ離れたピディ県のシギルの親戚の下へ連れて行った。


彼は、再びアチェに戻り、スランビ・インドネシア発行再開の準備のため、他の同僚と合流した。「今でも、子どものことを思い出しますし、生き残ったカトルムも同じです。カトルムは寝ている間に、「お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃんの足を引っ張って!」と叫ぶんです。」また、カメラマンとして避難所にいる子どもたちを撮影する時の心境を「集中できません。子どものことを思い出してしまうんです。」と悲しげに話している。


1月13日の昼、あの時預けてもう戻ってこないと思っていたカメラが戻ってきた。彼の親戚の人が社に届けてくれたのだ。「私の魂に再び出会えたのです。」彼はカメラを抱きしめながら言った。


(2005年2月14日、4年次・石井玲奈、4年次・中江麻希共訳)


ベドゥ氏が、2004年12月26日シンパンリマ地区で撮影した写真は、インドネシア文化宮で見ることができます。

ベドゥ・サイニ氏

ベドゥ・サイニ氏

スランビ・インドネシア紙から


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