050723 3年次・黒嶋賛二訳

2005年7月23日付コンパス紙より

南アチェの県のいくつかの郡を津波が襲った(7月23日土曜日)。その結果として、数十もの家が半壊、全壊するとともに、その地方の数千もの住人が、その津波の脅威から安全な場所に避難せざるを得なくなった。バンダアチェから連絡を取れた、南スラタンの副県知事のHハルファナハヤンはこう言及しています。その地方のイスラム社会で、西部インドネシア時間の6時がすぎてから、スブッの礼拝の行為が、行われたあと、津波が発生した。「満潮が襲った南アチェの首都のTapak Tuanのような海岸では、津波の高さは3mくらいまでに達しました。しかし、これまでのところ、その惨事の犠牲者の報告はまだありません」。


ここ最近の数十年で、津波の被害が大きくて、記憶に残っている郡は、tapak Tuan、Swang、そしてSamaduaの三つの郡です。「tapak Tuanに住んでいる住人の23戸もの家が全壊、または半壊の被害にあっています。現時点では、その他の二郡の建物やその他の被害状況について、我々はまだ情報を得ていない」と、南アチェの副県知事は語りました。


その満潮の津波によって、家が倒壊、もしくは冠水した住民は、いまや海水の恐怖からは安全な様々な場所へ避難した。推定では、その津波の海水は南アチェ地方の浜辺部分では10m〜15mの高さにまで達したとハルファナハサン氏は明らかにした。


一方、南アチェの副県知事がその地域の社会や、商人、タパックトゥアンの政府の公的機関の活動が、まだ、津波を警戒している人々がいる中で、まだ機能していると説明した。彼はその満潮の津波が将来、夕方により高くなるだろうと説明した。「我々は、事前の予測にもとづくと、その津波が西部インドネシア時間でだいたい、17時ごろの日の夕方によりひどくなるだろうと推測する」ハルファナハサン氏はそう語った。


(2005年12月20日、3年次・黒嶋賛二訳)

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