スマトラ島沖大地震・インド洋巨大津波の被災地復興支援

スマトラ島沖大地震・インド洋巨大津波の被災地復興支援のために

2004年12月26日、インドネシア・スマトラ島沖を震源として発生したマグニチュード9を超える大地震、それに続いてインド洋に起こった巨大津波。この地震・津波により、インド洋に面する12カ国で死者・不明者は30万人を超え、中でも、インドネシアは、死者が10万5162人、行方不明者が12万7774人(2005年1月31日現在、インドネシア保健省の発表による。)を数えるという、最大の被災国となりました。そして、その被害は、震源に最も近いスマトラ島北部に集中し、特にスマトラ島北端のナングル・アチェ・ダルサラム州は、復興にどれだけの時間がかかるか全く予想ができないと言われるほどの、まさに壊滅的な被害を受けたのです。


2004年末から2005年の初めにかけて、日々万単位で増えていく被災者の数を伝える報道に接し、インドネシアに関わり、インドネシア語を学んできた者として、何ができるのだろうとの思いが、インドネシア語専修のみんなの間に募っていました。


そして、2005年1月の冬休み明けから、みんなの思いが集まり、復興支援への取り組みが始まりました。

2005年1月〜3月 募金活動を実施

まず、1月17日から28日まで、学内で被災地の復興を支援するための募金活動を行い、インドネシア語専修同窓会からの協力も得て、総額65万3710円の義援金を、まず2月1日、(財)京都新聞社会福祉事業団に届けることができました。さらに、2月、3月と募金活動を継続し、3月30日には、22万8000円を、日本赤十字社(京都府支部)へ届けました。これで義援金の総額は88万1710円になりました。これらのお金が被災地の人々の復興に少しでも役に立つことを念願しています。


京都産業大学生並び教職員の皆様、インドネシア語専修同窓生の皆様へ

この度はスマトラ島沖地震津波復興支援募金にご協力いただき、ありがとうございました。
皆様のご協力のおかげで、1月17日から28日にかけての学内募金活動で295,350円の募金が集まりました。また同時にインドネシア語専修の卒業生から358,360円の義援金をいただきました。
この場をお借りしまして、ご協力いただいた皆様方にお礼を申し上げると共にご報告いたします。
今回集まった募金、義援金は「京都新聞社」を通じてインドネシアをはじめとする被災地へ送ることとさせていただきました。領収書と学内募金活動集計表を添付いたしますので併せてご覧下さい。
今回、予想をはるかに超える額の募金が集まり、私たちは大変嬉しく思います。学内での募金活動は1月をもって終了いたしましたが、今後は被災地の新聞等の翻訳を京都産業大学外国語学部インドネシア語専修のホームページに掲載していくことにより、今回の活動を一過性のものにしたくないと考えております。
今後ともご理解とご協力よろしくお願いいたします。


インドネシア語専修有志一同
代表 大柿亮祐
(平成17年2月1日)

領収書


2005年2月から現地紙記事を日本語に翻訳

私たちインドネシア語を学んできた者にとって、募金活動だけが復興支援ではありません。私たちは、緊急援助の時期は過ぎたと思われた2005年2月頃から、日本でのスマトラ島沖地震・津波に関する報道が徐々に少なくなっていくであろうと考えました。それに対し、私たちは、インドネシアで最も多くの人に読まれている全国紙のコンパス(Kompas)紙と、コンパス紙と提携するナングル・アチェ・ダルサラム州唯一の地方紙のスランビ・インドネシア(Serambi Indonesia)紙を中心に、地震・津波関連の報道を、日本語に翻訳し、公開し始めました。みんなで協力して、現地の人々の体験を、思いを、声を、現地の実情を伝えて、インドネシアの被災地への復興支援を一過性のものに終わらせず、長い道のりが始まったばかりの復興支援を継続的に訴えていきたいと思います。

2005年7月 アチェ復興支援絵画・写真展を開催

スマトラ沖大地震・津波の発生から半年が過ぎました。最大の被災国となったインドネシアにおいても、去る3月には政府による特に被害が大きかったナングル・アチェ・ダルサラム州を中心とした地域への復興マスタープランが作られ、各国、国連、各種国際団体等からの復興支援も本格化してきています。もちろん、日本からも150億円という巨額の援助が拠出されます。


それでは、現在のアチェはどうなっているのでしょうか。復興計画が作られ、復興支援が行われていますが、復興は進んでいるのでしょうか。そして、アチェの現状に対し、日本を含む国際社会は関心を持ち続けているのでしょうか。今、確実に私たちも含めて日本社会のアチェへの関心が薄れ、アチェからの情報へのアクセスも少なくなっていると思います。


私たちは、今一度、アチェへ、被災地へ目を向けたいと考え、7月31日(日)、8月1日(月)・2日(火)のオープンキャンパス会場で、アチェ復興支援絵画・写真展を開催しました。


スランビ・インドネシア社員でもあるアチェの画家マフディ氏が、両親、弟、妹を失った悲しみを乗り越え、津波をテーマに描いた作品7点、去る4月の全ナングル・アチェ・ダルサラム州小中校生津波絵画コンテスト(詳細はインドネシア文化宮HPに掲載されています。)の入賞作品20点、そして、地震・津波発生直後からのスランビ・インドネシアによる津波報道写真150点が展示され、3日間でおよそ1000名の方々が来場されました。


来場された方々からいただいたコメントの一部を紹介します。


「人間は、はかないものだけど、苦難にもたちなおろうとする強い力があるんだとすごく感じた。このオープンキャンパスで1番印象に残った。」


「前後の風景が比べられより迫力があります。映像で訴える力の大きさを感じます。子供らに笑顔がもどってくる日が一日でも早いよう心より祈ります。」


「写真を見て、人間の存在って小さいなぁと思いました。他人事のように感じていた自分が情けないです。」


「写真からも絵画からも多くのことが伝わってきます。子供たちの笑顔が本当に美しいですね。これだけの悲しみの中で、人間以上の存在に目を向ける画家には、とても尊敬の念を抱きました。人々が協力しあって、早く元の生活に戻れるように、心から願っています。」

アチェ復興支援絵画・写真展

アチェ復興支援絵画・写真展

アチェ復興支援絵画・写真展

アチェ復興支援絵画・写真展

アチェ復興支援絵画・写真展


2005年7月から阪神・淡路大震災の記憶をインドネシア語に翻訳

7月31日からの絵画・写真展では、アチェの小中高生が描いた津波絵画も展示されます。それらの絵画は、スランビ・インドネシア紙が4月に全ナングル・アチェ・ダルサラム州において実施した津波絵画コンテストの入賞作品ですが、その表彰式の模様を伝える記事が5月20日のスランビ・インドネシア紙に掲載されました。その中で、スランビ・インドネシア紙編集長のシャムスル・カハル氏が次のようなことを述べています。


「2004年12月26日の津波はアチェの人々の生活を壊滅させましたが、特に子どもたちの教育については、学校が壊れ、教師の多くが亡くなるなど、深刻な被害が認められます。そして、最も憂慮されるのは、アチェの子どもたちから、自分たちの未来を切り開いていくために学ぼうとする意欲が失われてしまうことです。子どもたちは限りない潜在能力を持っています。絵画コンテストは、その子どもたちの学ぼうとする意欲と潜在能力を呼び起こすことを目的として実施されたのです。」


私たちには、このシャムスル氏の発言を読み、思い起こすことがありました。それは、1995年の阪神・淡路大震災の記憶です。アチェの子どもたちにも、あの当時の記憶を伝えたい。


今、私たちは、甲南出版からのご理解とご協力を得て、阪神・淡路大震災を経験した小学生が書いた詩・作文集「どっかん グラグラ」を読み、その一部をインドネシア語に訳し、アチェの子どもたちに伝える取り組みも始めています。

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