050217 インドネシア語コミュニケーション論O受講者共訳

2005年2月17日付スランビ・インドネシア紙より

クリスティン・ハキムは涙をこらえられなかった。彼女は、昨日、バンダアチェのスリ・ラトゥ・サフィアトゥディン公園内のあるイベントの特設会場で、涙を流し、声をつまらせながら挨拶を述べた。


悲しみに沈みながらも、一言ずつ自らを奮い立たせながら、集まった人々を前に彼女は穏やかな口調で語った。「津波が起こってから、アチェに来るのはこれで8回目です。今日、夜明けのお祈りを済ませてから、ずっと考えていました。このアチェは選ばれた土地、特別な場所なのです。もちろん、ここはメッカではありませんが、アチェはメッカの前庭です。何の理由もなしにアッラーがアチェに津波をもたらしたとは思えません。アチェはアッラーによって地震と津波という試練を与えられる場所として選ばれたのです。なぜなら、アッラーの目にもこのアチェは特別な場所のです。敬虔なアチェの人々だからこそ、その信仰心と忍耐を試されているのです。また、私は悲劇の中でアッラーがお示し下されたアッラーの偉大さの証しに驚いています。私は何度も自問自答しました。もし、津波が他の場所で起こっていたなら、このアチェのようにモスクが無事であったでしょうか。アッラーは何と偉大なのでしょうか。」彼女の目から再び涙がこぼれた。


そして、「私たちにとって今最も大事なことは、アッラーが津波を通してアチェ社会にどのような意思を伝えようとしているのかを理解することです。私たちが、その信仰心と忍耐を試されていることは間違いありません。私は、アチェ社会がこの試練のすべてに立ち向かっていけると信じています。」と述べた。


(中略)


会場で同席していたナングル・アチェ・ダルサラム州アズワル・アブバカル副知事もまた、12月26日に起こった地震と津波は決して神罰ではなく、アチェの人々にとっての最も厳しい試練であるとの考えを示した。彼は「この試練に強い気持ちで立ち向かおう。」と話し、津波の後アチェに何度も足を運んでいるクリスティン・ハキムのように、有名な芸術家がアチェに来ることは、アチェの人々に癒しとなっていることを認めた。


また、クリスティン・ハキムは「私の祖父はアチェで生まれ、父はビレウエンの学校に通っていたこともあります。ですから、チュ・ニャ・ディンを演じた時には、アチェの人々ならどんなことを考えるのかを考えながら演じていました。私の体にはアチェの血が流れています。アチェはインドネシアにとって単なる一州ではなく、ここからイスラムが広まったという意味で大切なところです。メッカの前庭としてのアチェのアイデンティティを保っていきましょう。」とも話している。


(2005年5月24日、インドネシア語コミュニケーション論O受講者共訳)

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