050106 2年次・久禮郁子、2年次・吉野綾希子共訳

2005年1月6日付スランビ・インドネシア紙より

ヌルリザル・ファウミ氏(スランビ・インドネシア紙社員)の証言から

2004年12月26日の日曜日、巨大地震がバンダアチェを激しく揺らしたその日、ププットとディンダという2人の子どもが外に出かけたいと駄々をこねた。その朝の2人の泣き声はいつもと違っていたので、ファウミは2人の希望に従い、町の方へバイクを走らせた。


しかし、彼はなぜかその時、ラクサナマナ・マラハヤティ通りにあるスランビ・インドネシア紙の事務所を見たくなった。そして、最初町へ行こうとしていた彼は、反対方向のバエット村へ向かった。しかし、メスラ十字路まで来るや否や、子どもたちは「そっちには行きたくない!」とヒステリックに金切り声を上げて叫んだ。結局、彼はジャンボ・タペでコーヒーでも飲もうと、町の方へ引き返そうとバイクをUターンさせた。そして、ジャンボ・タペに着いてみると、「水だ!」と叫びながらなりふりかまわず駆け出している人々で溢れていた。それを見た彼は、子どもを乗せたまま、ルエン・バタに向かって必死にバイクを飛ばした。


しばらくして水が引いた後で、彼は2人の子どもとシンパン・メスラ地区の自分の家へ引き返した。しかし、家の前まで来てみると、家には水で流されてきた死体が何体も引っかかっていたのである。はっと我に返り、彼は妻がいないことに気づいた。彼はあわてふためき、妻を捜してまわった。幸運にも、彼の妻はある店の3階に無事に避難していた。


(2005年2月14日、2年次・久禮郁子、2年次・吉野綾希子共訳)

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