041230 3年次・吉野綾希子訳

2004年12月30日号雑誌テンポより

去る12月26日(日)のアチェでの地震・津波発生以来、町や州のメダン・アチェ行きのバスには乗客が殺到した。その乗客のほとんどが、家族の所在と運命を知りたがっている。


サラギさんは、地震・津波発生以来、定員35人のPMTOHバス会社の2台のバスは常に満員だったと語っている。「今日も満員だった。この昼に出発したバスは、ほとんどが昨日、予約し、前金を払った乗客でいっぱいだった。」と語った。


他の2つのバス会社、クルニアとプランギでも、去る12月28日(火)から、アチェ・メダン行きのバスのチケットは完売した。


乗客のほとんどがその2つの地域へ、沈んだ面持ちで向かった。その中の1人であった28歳のドニさんはあわてた様子に見えた。何も持たず、バスのところへ走ってやってきた。「Baiturrahman村(ドニさん出身の村)のモスクの前にある家々が、倒壊し、めちゃくちゃになっている光景をテレビで見ました。私の家族も同じように被害に遭っているのではないかと思いました。」とドニさんは語った。彼は、家族と連絡を取るのが難しいため、アチェへ行くことを決心した。「心配で仕方ありません。何度も連絡しようとしましたが、繋がりませんでした。家族が犠牲になっていないことを心から望んでいます。」と語った。


バンダアチェ出身、31歳男性のイスミヤントさんは、家族が犠牲者になったことをニュ-スで聞き、家族の埋葬をするため、1人であわててアチェへ帰省した。


PMTOH会社のバス運転手、ワック・ドンさんは、ジャカルタからアチェ・メダンへの道路は、3〜4日間かけ走行した、と語った。しかし、ドンさん自身は、バスが順調に走行できる輸送状況ではないのではないかと、疑っている。「昨日はすべての車がバンダアチェまで行けたわけではありません。恐らく、多くの道が破壊し、燃料オイルもないからでしょう。だから、バンダアチェへ行くには、メダンから、自分で燃料オイルを持って行き、走れるようにしなければなりません。」と語った。ドンさんは、「乗客をアチェまで送り届けられるよう努力します。乗客の皆さんが哀れでなりません。」と述べた。


(2005年7月31日、3年次・吉野綾希子訳)

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