050915 聴講生・中村高嶺訳

2005年9月15日付コンパス紙より

名人ヒムと親しみを込めて呼ばれるパワン・イブラハム・ハセムの顔は今、晴れやかな笑顔を絶やさない。そしてよく話す。去る5月にコンパス人道的基金(DKK)チームに最初に出会った時の状況と8月末の状況が違うからである。


“その援助は私にとって非常に意義のあるものである。何故ならば私と家族にとって再び新しい生活が与えられたからである。”と名人ヒム(63)は語った。


イブラハム・ハセムは以前は大規模な漁師であった。シラス漁のビジネスは北スマトラのメダンまで広げ、すでに数10年の実績を通じて“メダン・シラス”として知られていた。


過去のその成功は2004年12月26日日曜日、NAD(アチェ・ダルサラム特別自治州)のマグニチュード8.9の地震と津波で壊滅状態になった。家屋・家財は津波によって流失した。家族は無事であったが、しかし親戚の11人は犠牲となった。


現在までイブラハムと家族は、まだバンダ・アチェのクパタンの難民テントに避難していた。“わたしは唯一の神によって命を与えられ、そしてこのテントに宿泊所を与えられたことを感謝している。また私は私のバガン・アプン(漁獲用の機材)は、津波に呑み込まれても壊れただけであったのでDKKの援助で復旧された後、再び使用できるであろうことを感謝する。


スケジュールの後退

イブラハム・ハセムは7月中旬晴れやかに説明し始めた。その時彼のバガン・アプンの修理のためにアチェDKKから10,650,000ルピアの援助を得た。“本当は私のパガン・アプンは8月18日には完成させなければならなかった。しかし修繕を行う時に木材を入手するのが困難であったのと、機械設備も壊れてしまい修理しなければならなかったことで、スケジュールの後退をせざるを得なかった。”とイブラハムは語った。明らかにまだ解決しなければならない問題があった。バガン・アプン(を繋留する為の)用の錨と綱が壊れて無くなっているのである。DKKは後日、そのバガン・アプンに必要とされるものを満たすために、2,000,000ルピアの援助を与えた。そのDKKの援助は錨とその錨にあった綱を買うために使われた。

その他の援助

NADではDKKが地震と津波の被災者のために援助が与えられる機会がある。そのうち3,000,000ルピアが津波の攻撃によって破壊された幼稚園の建物ために行われ現在修理が進んでいる。


村々では難民達は養魚池や農地を津波によって破壊されたため仕事を持っていない。それ故彼等は仕事の手立ての援助を非常に必要としている。


難民の妻達は鞄や布の刺しゅうがすぐにでもできるように、ミシンのような仕事の道具の援助を非常に必要としている。“もしもDKKの援助が与えられるならば、この断食月にかなえられるように望んでいる。そうなれば我々は鞄や布の刺しゅうが始められ断食明けの祭りを迎える時、それを売ることができる。”と難民達を代表してジャミラトンは語った。


(2005年12月20日、聴講生・中村 高嶺訳)

PAGE TOP