050107 4年次・安井博昭訳

2005年1月7日付スランビ・インドネシア紙より

マイザトゥル・アクマルさん(バンダアチェ市民)の証言

マイザトゥル・アクマルさん(32歳)は、2004年12月26日、バンダアチェとその周辺を襲った津波の恐怖を、まだはっきりと覚えていた。椰子の木程の高さの津波を目の前にし、彼女はまだ2歳8ヶ月の末っ子、サキラ・アナンダ・イマラちゃんを抱き、8歳の長女カニタちゃんの手を引き、走って逃げようとした。そんな中、1台のゴミ収集車が彼女らの前を横切った。パニックに陥った人々が荷台に溢れていた為、とてもマイザトゥルさん達を拾ってもらえそうになかったが、かろうじて、運転手に小さいサキラちゃんを乗せてもらうことができた。「私はあの子が無事であると信じています。でも、一体あの子は今どこにいるのでしょうか?」夫ラジュディン氏、義父アクヤル・アブドゥラ氏に付き添われたマイザトゥルさんは、スランビに語ってくれた。


マイザトゥル、ラジュディン夫婦と長女カニタの3人は、津波から生還することができた。マイザトゥルは、カニタと共にサバン海域を5時間も漂流していたが、小さな漁船に無事保護された。その後、2人は他の数名の津波被災者と共に、シグリへ避難することができ、さらにピディエの警察本部に身柄を託された。「ピディエで両親に迎えられ、故郷のサマランガへ一緒に帰ることができたのです。」マイザトゥルは言った。


夫のラジュは、地震の揺れが静まった後、プウナヨン地区へ食料を調達に行ったが、家まで帰り着く前に津波に巻き込まれ、「私はバイトゥルラフマンモスクの近くに打ち上げられました。」と、その悲劇的な体験を語ってくれた。


現在、マイザトゥル、ラジュディン夫婦と長女カニタは共に健康な状態で、カニタはしばらくの間サマランガの祖母の家にいる。


マイザトゥルもラジュディンもゴミ収集車に託した末娘サキラと再会できる日を待ち望み、「サキラが無事であると信じています。一刻も早く私たちの元に戻ってきて欲しい。子どもたちこそが、私たちにとって最も大切なのです。」と、涙を拭きながら語った。アクヤルも、孫のカニタについて心当たりのある人は、どんな小さな情報でも知らせてほしいと話している。


(2005年3月14日、4年次・安井博昭訳)

PAGE TOP