日本語のない一年間

 留学期間を終えて振り返ってみると約一年の留学期間とは本当に短い期間だと感じます。しかし、短い期間であっても生活をしていると多くの異文化を体験することができます。また習慣や文化は中国国内でも北部と南部でも大きく違うと聞いたことがあります。私が北京へ留学して体験した文化や習慣は中国全土で通用するものもあれば北部だけのモノもあると思います。しかし、今から述べさせていただく異文化体験はすべて日本では体験できない貴重なものでした。

 はじめに人間関係について気づいた点から話したいと思います。私たち日本人のあいさつはこちらに来てみると大変シンプルのように感じました。例えば見知らぬ人や目上の人なら会釈をしつつ「こんにちは」といい、仲のいい友達間でも「よう」という一声だけです。関係の善し悪しに関わらず日本人同士ならばこれで十分なのです。同じアジア系の学生、つまり中国人や韓国人、モンゴル人留学生は会釈の習慣はありませんが、ほとんどこれと同じです。ただ中国人の友達は仲が良くなれば「(ご飯食べた?)」や「(お腹いっぱい?)」といったようなあいさつに変わります。初めてこの挨拶を聞いたとき驚いた半分、気にかけてくれているようで温かさを感じました。私たちが中国語の授業で習ったあいさつの言葉である「」というのは本当に知り合って間もない頃や、面識のない相手に使う言葉であって案外、仲のいい相手に使うとまだ打ち解けていない感覚を相手に与えてしまうのかもしれません。このようにアジアの人との間ではあいさつは方法や言葉は違えどもシンプルなものです。
 しかし、相手が欧米諸国や中東であればあいさつは一瞬の出来事ではありません。彼らは知っている人を見かけるなり、笑顔で「Hey」と言いながら歩み寄っていき握手をします。これだけで終わるわけではありません。最近どう?と小話に発展するケースがほとんどです。また彼らはどれだけ急いでいても必ず握手をします。乗り降りする留学生同士のあいさつで宿舎のエレベーター前が混んでいるという風景は珍しくありませんでした。この八か月内であいさつしていてエレベーターに乗り遅れた人も見たことがあるくらいです。これはルームメイトのキルギスタン人に聞いたことなのですが、握手をしないということは自分の立場が上である時のみ許されることであり、ゆえに友達間や立場、地位が同等な間柄で握手をしないというのは相手に偉そうであるという印象を与えかねないのだそうです。もちろん日本国内でもあいさつは重視され重要な礼儀の一つですが、外国に来て違う文化の中では自分たちが思っている以上に「あいさつの方法」というのも重要で気を付けなければいけないことの一つであるのです。
 外国人とかかわるうえで大切なことがもうひとつあります。それは、はいといいえ、したいとしたくないということをはっきりと相手に伝えることです。私はこのことが一番重要であり、かつ日本人には一番苦手な方面であると感じました。例えば日本人の友達に遊びに誘われるとしましょう。自分が行きたいときはそのまま行きたいと言えばいいのですが、断る際に行きたくないと率直に言う人は少ないと思います。むしろ「ちょっと用事があるので」や「また今度いこう」と明確にNOといわない人が圧倒的に多いと思います。だからと言って誘った方も用事って何?と詮索してくることもなければ今度っていつ空いているのかとその場で話を進めることも少ないでしょう。しかし相手が外国人なら別です。以前に私は中国の友達にドラえもんの展示会に一緒に行こうと誘われたことがあります。私はドラえもんにそれほど興味はありませんし、何より大学からその場所までおおよそ二時間かかるとのことなので断ろうと思いました。ちょうどテストも近いこともあり、行きたいのだけれどテスト勉強をしなければいけないのでまた今度にしようといったところ、半日もあれば行って帰って来ることができる、行きたいのならいこう、と思いもよらない返答が返ってきました。その時はこれ以上どう行きたくないことを伝えていいかわらず結局彼について展示会に行きました。この一度だけでなくその後もクラスメイトのロシア人に外食に誘われた時もお金が今持ち合わせてないからと断れば、お金は貸してあげる。行きたいのにいかないのはおかしいと言われたこともありました。彼らの感覚としてはしたいかしたくないかということを相手に率直に伝えるということが当たり前であり、それによって相手が不快になったり、悪印象を与えたりするというケースはまれなのです。

 中国に来てから日本との差異を多く感じたのが食事の場面です。初めて外食をしたとき、店に入るなり驚きました。店内では、仕事のない店員は携帯をいじっていたり、店員同士でしゃべっていたりということがごく普通に行われていたからです。また休憩中であろう店員は一般客と同じようにテーブルに座り、まかないを食べていました。日本でこういった店内の光景は見たことがなかったため衝撃を受けたのは今でも覚えています。また彼らは相手が客であろうと相手が話していることが聞き取れなかった時は「(あ)!?」と強い口調で聞き返します。彼らにとってはこれが当たり前なのですが、日本の異常といえるまでに徹底された接客態度を体験してきた私にとっては、彼らはなぜおこっているのかと勘違いをするほどの強い口調のように聞こえました。これも慣れるまで時間がかかったもののひとつです。中国に来た当初は、自分の中国語に自信がなく小さい声でぼそぼそ話しており、よく店員に聞き返され、その度に心を折られていました。  そのほかにも違いはいくつかあります。例えば世界的にあるチェーン店などを除けばお金は食事した席で払います。店員さんを呼びお会計をしてくださいと頼み、食事した席で払うのです。便利さはレジで払おうと席で払おうとあまり大差がないと思いますが個人的にはこちらの方法の方が私は好きです。また彼らは食事のバランスについてすごく気に掛けている一面があります。最も顕著にわかるのは飲食店で注文した時です。ある餃子の専門店に私を含む日本人2人だけで行った時、私たちは数種類の餃子とスープを頼みました。注文を終えると店員は注文の確認後、肉類と野菜類がないが頼まなくてもいいのか?と聞いてきしました。私たちはいりませんと断りましたが日本でこれまで体験したことのないことであったので少々戸惑いました。この店だけに限らず、値段の少し高い店ならどの店も同じ質問をしてくれました。
 また私は中国人の友人と時々夕食を食べに行っていたのですが、ここにも習慣の違いは見ることができます。日本人は各自自分の好きなものを注文して、それを食べるというのが普通ですが、彼らは大きな皿に盛ったものをいくつか注文しそれをみんなで食べるという形式を好みます。以前に中国人の友達になぜ大皿を頼んでみんなで食べる方が好きなのかと聞いたことがあるのですが、彼は「こうした方が多くの種類を食べることが出来る。もし一人一種類ずつ頼めば、三人で食事するとなると三種類のものが食べられるし、十人なら十種類が食べられる。その中から自分の好みの味を見つけられるし、次来た時に何がおいしくて何がおいしくないか簡単に知ることが出来るでしょう?それと食事をバランスよく取れる。」と話していました。彼の言う通り彼らのこの注文の仕方にはこのような利点もあるのですが、頼んだ量が多すぎて食べきれないといった状況もよくおこるという欠点も持っています。
 中国には学生に限らず社会人になってからも、相手と親密で信頼のおける関係になる一番手っ取り早い方法はともに食事に行くというのが一つの習慣としてあります。中国では食事の場はリラックスして双方打ち解けやすい環境にあるといった点で重要視されています。これも中国人の彼が教えてくれたことの一つです。

 私たちが中国に来てもっとも衝撃を受けるのが交通面だと思います。私の留学した北京では、確かに信号機も横断歩道もあるのですが歩行者や軽車両にとってはほとんど意味をなしていません。信号機が赤であっても車がいなければ歩行者は横断を始めますし、横断歩道が近くにあったとしても渡れる状況であれば歩道から飛び出し、道を渡るという光景が普通です。また驚いたことに歩行者が自動車が来ていない道路の片側半分だけ渡り、もう片側は自動車がなくなるまで道路の真ん中で待っているという光景も珍しくありません。
 交通マナーが悪いのは歩行者だけではありません。日本では自動車は横断歩道に進入する際、横断中の歩行者がいれば歩行者が横断を終え周囲の安全が確認できるまで車両は停止状態で待つということが規則であり多くのドライバーはこれに従って走行しています。しかし中国では横断中の歩行者の有無にかかわらず運転手が通れると判断するとそのまま横断歩道に突っ込んできます。そのため歩行者が逆に道を譲るというのが当たり前のようです。私は中国に来た当初この横断方法になれず大きな道を横断する際は必ず中国人の後ろにまるで子供の用にへばりついて道を横断していました。この交通環境に慣れたとはいえ、横断する際はやはり危険を感じます。
 日本でも多くの人が知っている通り、中国を含む多くの諸外国の車両は道路の右側走行が規則としてきめられています。またここ中国では向かいの信号機が赤であっても右折は可能という規定があります。タクシーの運転手にこれは大丈夫なことなのかと聞いたことがありますが、車と衝突しないのになぜだめなのかと逆に質問されてしまいました。しかし、私は歩行者との接触の可能性がある以上、危険ではないのかと思います。
 せっかちというのは決して悪いとは言えませんが危険を伴う状況下ではいいものとは言い難いように感じます。こういった交通のように人命に関わることなら特にそう思います。

 私は北京に留学して日本では体験できないことを体験し、多くの日本とは異なったものを見聞きしてきました。短い一年という月日の中で体験した事すべては私にとって大変貴重なものです。カルチャーショックという言葉もあるように「異文化」と聞くとマイナスイメージのようにとらえる人もいるかもしれません。しかし実際に理解しがたいことが起きても相手のことを理解し、お互いに分かり合うことが多国間で関係を築く上では大変重要なことであり、外国の人々と良い関係を築く第一歩であると私は考えます。

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