学生生活/チベット旅行(二篇) (T.MARUI)

チベット旅行

私はこの夏チベットに旅行した。「世界の屋根」と呼ばれているチベットは、中国とは全く異なった顔を持つ、一つの別の国のようであり、チベットへの旅行は、この留学の中でとても大きな出来事である。


チベットは、中国の西南に位置し、平均海抜は4000メートル以上もある。気候は独特の高山気候で、「一日の中に四季がある」と言われている。夏でも朝晩はとても寒い。


唐の時代にはトルファン(吐蕃)と呼ばれたが、1965年にチベット自治区となった。区都はラサ(チベット語で聖地の意味)で、政治等の中心地である。


高度が高いことから、大体の旅行者は高山病にかかってしまうが、私はラサ空港に下りたとき、そんな症状は全くなかった。しかし、2〜3日後に行ったナムツオ湖では、途中海抜5000メートルを越え、真夏でも雪が積もっていて、別世界であった。ナムツオ湖はとても美しい湖で、見たときにはすごく感動した。だが、夜になると歯が痛くなり、眠れなくて大変であった。


ナムツオ湖へはジープで行くが、その途中には草原が広がっている。草原には遊牧民が住んでいるが、夏の間は下りてきて生活している。冬になると山の方へ上って行くそうだ。休憩で車から下りたところに遊牧民のおじさんがいた。タバコをあげると、おいしそうに吸い始めたので、遊牧民もタバコを吸うんだと知った。パオの中にも入ったが、小さなパオの中に7〜8人が生活しているようだ。


人々はみな人なつっこくて、私たちのことを興味深そうに見ている。会話をしたいが中国語は通じないので、ジェスチャーになる。そこではバター茶などをご馳走になり、とても楽しい一時だった。


ただ驚いたのが、子供達の物欲のすごさである。子供達がおみやげをねだってきたので、あげようとすると、すごい勢いで集まってきて取り合っている。それが私はとてもショックだった。


無事ラサに戻ってきて散歩をする。ここでは人々の姿も全く違う。チベット族の人々の皮膚は黒く、民族衣装を着ている。髪にはいろいろな飾りをつけて、手にはマニ車を持っている。チベット族の他に漢族や回族もいるが、見ればすぐにわかる。老人がマニ車を回しながらお経を唱えていく姿には、チベット仏教への信仰の深さが表れている。


ごはんを食べにいくと店員は英語を話す。中国語を嫌いなのか、使わない人が多い。また中国語で値段を聞くと高く言われることもあるようだ。しかし日本人とわかると、日本語の本を持ってきてくれて、気さくに話しかけてくれたりする。私が行った時には、日本人がとても多く、友達が出来る機会も珍しくない。


昼間の或る食堂では、おじいさん達がチャイというミルクテイーをのんびり飲んでいる。なぜか女の人はいない。おじいさん達は一人でのんびり飲んでいる人もいれば、会話をしている人もいて、いつも満員である。昼間からこんなところでのんびりしていていいのかと思うが、チベットでは時間がそんな風にゆっくりと流れているような気がした。


チベットには寺もたくさんある。どの寺にも似たところがあって、独特な、温かい雰囲気である。お坊さんは様々であるが、優しい人が多くて、すぐにバター茶をごちそうしてくれた。バター茶は苦手だが、「飲め、飲め。」と言われてよく飲んだ。私が行った時には何のイベントもない時であったが、お参りに来る人はたくさんいた。


チベットを訪れる旅行者の交通手段はバスかジープなどに限られる。私たちは或る街で、外国人だからといって倍以上の高い金額を要求され、現実の厳しさを知った。仕方なくお金を払い、トラックの後ろに乗ったが、とても過酷だった。道はとても悪く、日差しも厳しい。私はその時に火傷のような日焼けをしてしまい、今もその跡が残っている。しかし、今となっては、どれもいい想い出である。


中国に属しながらも、全く違う雰囲気のチベット。空は本当にとてもきれいな青空で、ポタラ宮にとても似合う。みんなの生活はのんびりしていて、心がなごむ。私はチベットに行って、中国が多民族国家であることを改めて知った。チベットに旅行して本当に良かったと思っている。

PAGE TOP