中国での異文化体験

 私は上海から車で3時間ほどのところにある、蘇州というところに留学した。中国に行くのはこの留学が初めてで、留学が決まってからというもの、毎日大きな不安と期待の感情を抱いていたことを、今でもよく覚えている。

 蘇州という町は中国の水の都として有名で、「東洋のベニス」という愛称ものと、いくつもの有名な庭園や橋があり、非常におちついた静かな場所である。その町並みはどことなく日本の京都に似ており、「中国で一番日本人の住みやすい場所」といわれていることが十分に理解できる。

 しかし、やはり日本とは別の国家であり、中国に来てからというもの、日本とは全く違う文化、いわゆる異文化に驚きの連続であった。

 まず始めに、中国とは良くも悪くも相当な自由な国である。お互いが他人にあまり干渉がなく、一億人以上の人間が、自分が良ければ良いという考え方を持っているので、日本やその他多くの国で許されないことが中国では許されていたり、日本でのこれまでの生活からは想像もつかなかったような事が、ごく普通に起きている。

 それはルームメイトの台湾人と上海にしたときのことだった。上海の観光も終わり、蘇州に帰るためのバス停で私たちは並んでバスを待っていた。日本人の常識として、列に並び順番に乗車するのは当たり前のこと。それは台湾でも同じようであり、私たちは何を言うわけでもなく列に並んだ。だが中国で、順番という考えは通じない。バスが駅に到着するや否や、きちんと並ぶ外国人観光客を抜かし、我先にとバスに乗り込んでいく。彼らから悪いという気持ちや態度は少しも見えることなく、まるで当然のこととでもいうかのようだった。わたしはこれが日常的なことだとはどうしても捕らえることができず、その日の天候が悪かったことや、時間がすでに遅かったことを言い訳に、信じようとしなかった。しかしこれは大きな間違いであった。宿舎から一歩外へ出ると、車、バイク、道行く人々までも我先にと行動し、食堂、スーパー、切符売り場に至るまで順番を抜かしや相手のことを思いやらない自分勝手な光景が伺えた。

 交通に関して言えば、今すぐにでも見直すべきだろう。たとえ八車線もある大通りであっても、歩行者信号の青信号は実に数十秒しかない。老人や子供はもちろん、一般的にも一回の青信号で道を渡りきることは不可能に近い。自分が車を運転しているときに、目の前の横断歩道をまだ渡りきれていない人がいたら、たとえ信号が青に変わっていても、安全が確保できるまで待つ、これは運転手としてのマナーだ。実際に、免許を取得する際にこのマナーが守れない者には車を運転する資格がないとみなされ、免許を取得することはできない。しかし中国では違う。車やバイクの運転手たちに、「歩行者優先」という言葉はなく、歩行者や信号の状況に関わらず我先にと、大きなクラクションを鳴らし続けながら突き進んでくる。そのため、歩行者は車が来てない隙を見計らって事前に信号無視をし、一回の青信号で渡れる距離まで進まなければならないのだ。案の定、あらゆる場所で事故や喧嘩が勃発するが、道行く人はやはりこれにも無関心だから驚きだ。

 もちろん中国人の自由さを表す行動はこれだけではない。

 私はより深く彼らの暮らしや考え方を知るため、学校の事務室に行き、中国人学生とルームシェアしてさせてもらえるよう頼み、三ヶ月間中国人と共に生活した。宿舎の外で見る中国人だけではなく生活を共にしてわかったことは、やはり他人には干渉がないということ。外で見る中国人がバスなどの公共機関で大声で電話するように、ルームメイトである私がすぐ隣で眠っている時であってもちょっと外に出るどころか、声を潜めることさえしない。食堂やその辺の道に自由にごみを捨て、痰を吐き、周りの人が困るだろうということを全く考えていない。しかし、共に生活していく内に分かったことは、彼らは決して故意にしているわけでなく、本当に当たり前という感覚で、誰かの迷惑になっていることに気づいていないのだ。

 どうしてこのような考え方が当たり前になっているのだろうか。それは最近の中国で特に問題視されている、「一人っ子政策による子供の甘え」が大きく関係しているのではないかと考える。

 ある日、授業が終わった後、一人で学校の周辺を探索していた時のことだった。まるで、芸能人の出待ちをするファンのように、一つの門の前に多くの人が集まっていた。そのあまりにも多くの人に、一体どんな人が出てくるのを待っているのか興味をそそられ、私は彼らと共に一緒に待ってみることにした。しばらくして、「わあ!」と歓声があがり、彼らの視線の先を辿ってみると、門の向こうからやって来たのは先生に引率された小学生達だった。彼らは子供たちを迎えるために待っていたのだ。日本でこのような状況を見たことがあっただろうか。これには本当に驚きが隠せなかった。

 中国人が唯一、自分よりも大切にしているもの、それは「子供」ではないだろうか。親だけでなく祖父祖母まで、我が子の将来を考え、我が子のことを一番に考え行動する。中国では小学校の頃からできるだけ良い学習環境のある学校へと通わせるのが一般とされるので、子供の学校の考慮から引越しをする家庭も少なくないようだ。ましてや一人っ子政策の行われている中国では、ひとりの子供に十分すぎるほどの愛情が注がれてしまうので、他人への思いやりや他人の意見を尊重する力がかけている子が多いと言われる。他の国においても子供の存在は決して小さなのもではないが、中国では親や祖父母の付きっきりの教育や十分すぎる愛情が、はっきりと我が子ひとりにむけて注がれ、中国人青年の自立の遅さや自分さえよければ良い、という「甘い」考え方につながるのだ。

 ここまで比較的批判的な目で中国について書いてきたが、決して悪いところばかりだということはない。私が最も彼らを見習うべきだと思うのは、学習に対する意識だ。蘇州大学のある教室棟では夜中12時をすぎても教室の電気が消えない。覗いてみるとそこには、多くの学生がいる。もちろん、授業が行われているわけではなく、午後の授業が終わったあと、彼らは自習のために宿舎や家に帰ることなく、教室に残って勉強しているのだ。その教室の電気がいつごろ消えるのか、それは未だにわからない。しかし毎晩毎晩、教室にこもって勉強しているのは紛れもない事実だ。こうした努力の成果なのか、彼らの学習内容はとても豊富で、たとえ日本を訪れたことのない中国人でも、まるで日本人のように流暢に日本語を話し、言語だけでなく日本の文化や歴史までも熟知しているのである。これは、中国だけでなく韓国など他の国にでも言えることである。実際、私がこの留学を通して痛感したことのひとつに、日本人の学習意欲のなさ、がある。もちろん、日本人でも勉強している人はしているし一概に言えることではないが、日本には学習せねばならない機会が少ないのではないのだろうか。

 例えば、中国や韓国では高校受験は人生の一番の難関といっても過言ではないほどで、自身だけでなく親や親戚を巻き込んで、今後の人生を決める大きな点なのだ。これだけではない。中国や韓国では普通、学生が長期休暇以外にアルバイトをするということや、部活動に参加するということもはあまりない。理由は言わずともわかるだろう、彼らにとって大事なのはアルバイトをしてお金を稼ぐことでもなく、部活動で忍耐力や他人との交流関係、その道のスペシャリストになることでもなく、より勉強して、より良い大学、会社に入ることなのだ。

 そして日本人である私が、彼ら中国人やその他外国人に対して良いな、と思う点は、楽観的で開放的なことだ。日本人と違って、初めて会った人とでも打ち解ける速度がとても早い。そのうえ、自分の考えを持ち、はっきりと表現することができる。中国人のルームメイトと一緒に生活していく上でも、彼女の楽観的で開放的、そして人の行動に干渉しないおかげで、打ち解けるのも早く、またこちらも気を使うことなく自由に過ごすことができた。

 そして私が中国に留学していたこの一年は、鳥インフルエンザや空気汚染の問題が特に厳重だったが、日本のニュースはどれほど誇張して報道しているのか、というくらい現に中国で生活している彼らは問題に無関心なのであった。

 実際にこの国で一年生活してみて、悪いところを目の当たりにするとともに、良いところも知ることができた。この一年間は、大きな反日デモやあからさまな日本人差別に合うことはなかったが、やはり日本人というだけで嫌悪感を抱く人はまだまだ少なくないだろう。過去の歴史をなかったことにはできないが、こういった異文化や違う考え方を否定的に捉えるのではなく、お互いに尊重しあって、協力し合ってよりよい世界を作っていけたらいいのではないだろうか。

 日本と中国は飛行機で二時間ほどの距離にあるとても近い国である。同じアジア州であり、顔や言語に漢字を使う所や、食べ物など、似ていると感じる部分もたくさんあるが、文化や習慣の違いがこれほどもあるとは考えもしておらず、正直驚きを隠せないでいる。近隣国家同士でもたくさんの違いがあり、まだまだ知らない驚くべき文化や、見習うべき習慣がたくさんあるのだろう。

 日本では、中国に対する先入感がとても強く、人々が抱く印象は悪いものが多い。実際、私が中国留学を決意し親や友達に伝えた時には、ものすごく批判を受けた。そしてその批判に、自身の不安はさらに積もっていくばかりだった。しかし実際に来てみて、日本で報道されているあのニュースの影響は決して大きくないということや、親日家や日本が本当に好きで興味を持っている人がたくさんいる、ということも知った。留学に来ていなかったら、きっと知らずにいただろう。毎日驚きの連続ではあったが、自分にとってはとても刺激的で面白いと感じることができた一年だった。

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