私の異文化体験 (T.KAWAI)

中国での生活の中で

T.KAWAI


外国で生活していると、当然のことながら日本とは違ったさまざまなことに遭遇する。
中国山東省の沿岸都市、青島。2008年に北京オリンピックが開かれることが決定し、ここ青島でもヨットレースを開催することが決まっている。現在、街は建築ブームとでもいうのだろうか、ビル建築が盛んに行われ、さらにオリンピックの看板やテレフォンカードもオリンピックがデザインされたものが登場している。


青島で暮らし始めて約半年、この間に私は日本とは異なるさまざまなことを体験し、考えてきた。そのいくつかをあげてみることにするが、それらは中国のほかの地域でもいえることもあれば、青島だけに通用することもあるだろう。

まずは車社会と人々の関係。中国では、自動車は非常に高価だ。街で見かけるのはドイツか日本、あるいはアメリカ合衆国のメーカーが中国で生産する車がほとんどを占めている。日本車の場合、日本で買うより約2倍高い値段がするという。しかし私がここで取り上げたいのは車の値段ではない。それは人と車との関係、そして車の運転マナーである。例えば横断歩道。もちろん中国にも横断歩道はある。日本の場合、車の立場から考えると運転手は横断歩道で人が渡っている場合、止まって先に歩行者に道を譲らなければならない。ところが状況は日本と全く違う。横断歩道を渡っていても車は「どけ!」と言わんばかりにクラクションを鳴らし、パッシングして突っ込んでくる。バスも同様だ。だから歩行者は道路の真中で立ち往生しながら渡ることが多い。ところが歩行者の方は車に逆らっているかのように平気で渡る。歩行者用信号も大きな交差点以外はほとんど無視で、「車が来なければ青信号」なのだ。ちなみに青島の信号機は秒数表示がついており、あと何秒で青になるのか、赤になるのかが分かる。しかし大通りをたったの9秒で渡らなければならない信号や、日本でいう押しボタン式の歩行者用信号で、ボタンがなく5分も待たないと青に変わらない信号もある。車の運転手もあと2、3秒で青に変わると分かれば見切り発車をするし、譲り合っているようなシーンはあまり見かけない。タクシーに乗っていても「つねに自分が先」といった感覚で、危険さえ感じることもしばしば。特に信号のない路地の十字路は怖い。事故もよく見かける。離合が困難な山岳道路では広いスペースがあっても譲り合いはほとんどせず、駐車場ではクラクションが鳴り響く。人も車もみんな「自分が早く行けばいい」という考えのようだ。タクシーに乗っていて快調にとばされたりすると恐怖を感じるときもあるが、運転が慣れているなあと結局は感心してしまう。現在は車の総車両数はそれほど多くないが、これからこのような状況下で車だけ増加すると道路事情は悪化するであろう。


「自分が早く行けばいい」という考えは、車の場面だけに限ったことではなさそうである。例えばレジ。ジャスコなどのレジは並ばない客には店員が注意することもあるのでまだいいほうだが、例えば公園の入園料を買うカウンタやファーストフードのレジなどではみんな並ばない。日本の感覚で人の後ろについていても順番は回ってこない。いつの間にか後からきた人が前にいるのだ。でも横から入ってくる人に怒る人はいないので、自分も人をかき分けて進んでいかなければならない。


またジャスコやカリフールなどのデパートで、通路の真中で人が話をしていて通れないことがある。しかし、通ろうとしている人に道を譲ったりはしない。日本であればふさぐ人も通ろうとする人も「すみません」といいながら道を譲り合っているが、ここではそうではない。しかも驚いたことに店員までもがお客さんに道を譲らないのだ。今ではもう慣れてしまったので何ともないが、最初は「歓迎光臨(いらっしゃいませ)」と言っておきながらなんだろう、と思ってしまった。しかしこれには首をかしげる中国人もいる。


次は食事。中国のレストランでは店に入ったあとお茶を注いでもらう。そしてメニューを見て注文し、来たら食べるという順番である。
まず、中国では自分でお皿やコップ、箸を備え付けのナプキンで拭く。お皿に水が残っているとその水でおなかを壊すということなのだろうか、はっきりとした理由は良く分からない。ちなみにこのナプキン、高級レストランから庶民的な食堂までほとんどの店で用意されている。心配なら拭いてくださいという経営者側の意思が読み取れる。

また、庶民的な食堂なら自分でジュースを持ち込んでも何も言われない。気軽である。
メニューは肉類、野菜類、そしてご飯はたいていはずせない。しかし、日本と違ってご飯がおかずと一緒に出てこないため、私は物足りなさを感じると同時にご飯が出てくる頃にはおなかがいっぱいになってしまう。日本人の友人と食事に行くと「ごはんを早く!」と店員に催促するのだが、やはり最後になることが多い。
料理は辛い料理が多い。また青島は沿岸都市なのでよく海鮮料理を食べる。いけすに入っている魚を自分の目で見て、「これを調理してください」といった形で注文することが多い。また青島ビールは有名で、中国人の友達と食事をすると一人1瓶は飲み干してください、という意味で自分の瓶があるときも。また「乾杯」した後の最初の一杯は一気飲みをしなければならない。ビールは注文すると日本なら必ず冷たいビールが来るが、青島では「冷たいのをください」と言っておかないと温いビールがきたりする。栓が開けられた後に気づき「しまった」と思うこともしばしばである。
中国では箸を使ってご飯を食べるが日本でも箸を使うのでその点はあまり違和感がない。しかし中国の箸は太いものが多いので魚をむくときは少し難しい。
最後は勘定。日本のようにレジに並ぶようなことはほとんどない。食事が終わり店員に「買単!」とか「結帳!」と言うと店員が伝票を持ってくる。そしてそこで支払いをする。店員の数が多い中国のレストランだからこそできることなのだろうか、これは非常に便利。
ただ、店員が多いことはいいことかもしれない。しかし食べる側にとっては、客が少ないレストランだとまわりにいる暇な店員が私たちの食べているのを見ている。私たちにとってはまわりからじろじろ見られながら食べている感じがして、この場合は非常に食べにくい。私たちはお客さんが多く入っているレストランを極力選んで食事をするが、ときどきこのようなことになる。


また、トマトにこんなおいしく食べられる料理があったのかとか、ナスはこうして食べるとおいしいのだとか、こちらに来て気づくことは多い。ひまわりの種をくれたとき、皮をなめたら甘かったのでこれは全部食べられるものだと思って食べたら「何してるの?」と笑われたのは忘れられない。そのとき初めてひまわりの種は皮をむいて中の実を食べるのだと知った。


言葉の問題も触れないわけにはいかない。日本で2年間中国語を勉強してきたとはいえ、来てすぐに聞く力がほとんどついていないことに気づいた。半年たった今、だいぶ分かる単語が増えてきたのか、意味が分かることが多くなったことを実感している。


また、中国の人たちは「はい」、「いいえ」をはっきり言う。中国人の友達に、「日本人はどうして『何ともいえない』とか『たぶん大丈夫だ』とかいう曖昧な返事をするのか」と聞かれたり、「日本人って『明日暇ですか』と聞いて『うーん、用事がある』って答えるけど理由までは聞かれたくないんでしょ。」とか聞かれたりすることがある。このとき私は確かに日本人は曖昧な返事をしているんだけど、でもこれにはいろいろ訳があるのだと説明する。


日本語は相手の言ったことが分からなくて聞き返したりするときは「えっ」と言うが、中国では「阿(a2声)」になる。しかしこの「阿」が、まるで怒っているかのようにどうしてもすごく強烈に聞こえてしまう。タクシーで行先を行って聞き返されたとき、間違い電話で相手が聞き返しているときなどによく言われる。間違い電話でかけられたときはこちらが怒りたくなるが、相手が怒っているかのように聞こえてしまい逆に恐怖さえ感じるときがある。これは慣れるまで時間がかかりそうだ、いまだに慣れない。


そして、言葉で私が面白いと感じるのは外来語だ。日本にいるときも少し知っていたが、日本と同様、外来語があふれているので、中国に来てからさらに多くの外来語を知ることができた。日本の製品、企業の名前なども漢字があてられている。どうしてこの字があてられたのか分かるものもあるが、その経緯を知るのも面白いと思う。


青島は坂が多いので自転車に乗っている人をあまり見かけない。その代わりバスが人々の足になっている。バスの路線は分かりやすくなっているし1回見逃しても次がすぐ来るので非常に便利だ。しかし日本と違ってバス停にバスがたくさんいて縦列になるときがあり、自分はバス停で待っていてもバスがかなり後ろで止まったりする。こういう場合はただつっ立っていてはいつまでたっても乗れない。日本なら営業所に苦情が届きそうだが、この場合は自分でバスが止まっている所まで走っていってバスに乗り込むか、発進した後のバスの運転手に手を上げるなどの意思表示をして止めるしかない。しかし後者の場合は運転手が嫌な顔をするときがあるので私は前者の方法で乗り込んでいる。乗客側が受身ではだめということである。


日本人は西洋人に比べると見た目では中国人かどうか判断しにくい。だから私を中国人だと思って普通に話し掛けられるときがある。一つでも単語が分かればまだいいのだが、ときどき相手の言っていることの単語が一つも分からず「え、どうしよう」と思ってしまうこともある。学校内にいるときと学校外の生活とはここが違うんだなと思う瞬間である。しかし市場やタクシーに乗っていて話がはずんだりすると楽しいもの。これからも多くの人と接していきたいと思う。


今まで体験してきた中には面白いことも受け入れがたい体験もあるが、「郷に入れば郷に従え」といわれるように、それらもいい体験として受け入れていきたい。
そして2008年、青島でオリンピックが開催されているときには、今思っていることはもう思えない青島になっている気がする。そのときはまた違った体験ができるだろう。ぜひ訪れたい。

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