私の異文化体験記 (A.NASU)

N.T.


私の一年間の中国生活を振り返ってみると、中国・烟台にいながらして韓国にいるようなものだった。烟台という地域は、街自体はそれほど大きくはないが、遼東半島、朝鮮半島をむかいに臨む港町という立地条件を活かし、大都市大連へのフェリーの就航はもちろん、韓国への直通フェリーも就航しているため、中韓両国の貿易の起点として、小じんまりと栄えている。そのため烟台には韓国人が多く、また戦争のため中国に取り残された朝鮮人(彼らは朝鮮族と呼ばれ、多くは中国東北地方に集中している)経営の店も多い。街を歩けばハングル(韓国文字)の店が並び、韓国物資を売っている店も少なくない。
そんなわけで、ここ烟台師範学院にも韓国人が多く、また烟台という中国でもマイナー且つ辺鄙な小都市に欧米人が多いはずもなく、前・後期を振り返ってもドイツ人のパトリックとイタリア人のジョニーくらいだった。この学院はほぼ韓国人と日本人で占められており、数の優勢からか、ヒトのいい日本人のせいか、烟台師範学院はまるで韓国帝国のようだった。


その中、適応力だけはいい私は、日本人からも韓国人からも韓国人だと言われるほど韓国社会の中での生活を楽しんでいた。私は二人の韓国人の女の子と生活を共にし、食事も交代で作り合っていた。韓国といえば、とりあえず頭に浮かぶのは“キムチ”、という私達の思考回路は間違っていない。食事の時には必ずキムチ。私たち日本人からすれば、“漬物”か“タクアン”みたいなものかと想像するが、タクアンも漬物も韓国のそれには及ばない。キムチはすパゲッテイを食べていようと、オムライスを食べていようと食べたくなるもので、唐辛子で真っ赤に染まった料理を食べるときにも、また辛いキムチを食べている姿はとても奇妙である。そして、“ごはんにはキムチ”に慣れ、毎食キムチや辛い物を口にしていた私も、他の人には奇妙であったにちがいない。


そして、忘れてはならないのは韓国人の習慣だ。韓国人は儒教理念に基づき、“礼儀”を重んじるため、目上の人には必ず敬語を使う。彼らに上下の関係を徹底させたのは、儒教道徳だけでなく未だ残る兵役制度にもあると思われる。韓国では、男子は高校卒業から30歳くらいまでに兵役の義務があり、徹底した上下関係のもと、約二年半の兵役生活を送る。そのため女子は比較的厳しくないが、男子の上下関係は恐ろしいほど徹底され、表面的には日本の先輩、後輩に見られるような和気藹々として感じだが、常に年上の人には敬語を使っており、年上の言うことは絶対だ。
私の二つ下の弟(この場合、血はつながった兄弟ではなく年下の男の子という意味。韓国ではふつう、年上の人を「お兄さん」「お姉さん」と呼ぶ。)イングルとはお互いの欠点を言い合えるいい友達であるが、彼は私の言う「好朋友(親友)」には納得しない。彼が言うには「二つも年上なのに朋友(友達)なんて失礼だ。私たちは《好朋友(親友)》じゃなくて《好関係(いい関係)》というべきだよ。」また、生活を共にし、いつも一緒に遊んでいたかわいい妹、チョンは「あなたが韓国人だったらお姉さんって言わなきゃいけないけど、日本人だから年上でも友達になれてうれしい」と言ったのが印象的だった。年が一歳でも違えば「お姉さん」であり「友達」ではない。韓国人にとって年齢というのは、ひとつの大きな基準であり、名前の次には必ず年齢を尋ねるというほどだ。


そんな文化の違いから私が中国で一番苦労したのは外国人(韓国人)との付き合い方だ。礼儀を重んじるが故に、日々のあいさつ、礼儀が徹底されるというのはいい収穫なのだが、年上が“絶対”というのは少々厄介である。一番の苦労はやはり旅行である。一緒に旅行するとその人が見えるというが、私たち日本人は韓国人のいい所も悪い所も見えてしまった。


中国に来て二ヶ月、中国語もままならない頃、韓国人三人、日本人三人で旅行をしたことがあった。彼らも私たち日本人も“貴重な外国人の友達”として仲良く楽しくやっていた。しかしいざ旅行となった時、私たちの仲は急に冷え切ってしまった。韓国人の「お兄さん」一人が全てを決めてしまったのだ。私たちは怒り狂った。私たちの意見は微塵もない。六人で旅行をしておきながら、なんで全部決められてしまうのか?なぜ他の韓国人に言ってもどうもしてくれないのか?まるで私たち荷物みたい!旅行中ほぼ口をきかず、韓国人対日本人のケンカのようだった。旅行後やっと韓国の年齢の関係を知り、他の年下の韓国人も何も言うことが出来なかったことを知り、旅行後は丸く元通りに仲良くなった。


その後も韓国独特の考え方を肌で感じ、文化の違う外国人と生活を共にすることの難しさを学んだ。留学生活も終わりに近づいた頃、北京まで試験を受けに行く機会があった。元々親しいわけではなかった韓国人の女の子が北京に不慣れなために、私たち日本人4人と韓国人3人で旅行をすることになった。


私はずっと韓国人と生活を共にしていたので、日本人は人がよすぎると思っていた。逆に韓国人は欧米人のように自己主張がはげしく、嫌なものは嫌だとはっきり言う習慣がある。今回の旅行は日本人主動であり、数の優勢から安心して旅行できるだろうとたかをくくっていたのだが、やはり文化の違いから亀裂が生じた。みんなが楽しめるようにと日本人が試行錯誤しつつ提案していった。韓国人は一日でもキムチを食べないと、すぐに「キムチが食べたい」というため、北京でも朝鮮族の食堂を探してわざわざ食べに行っていた。朝鮮族とは言っても韓国人ではないため、見た目には似ていても味は彼らの納得いくものではない。苦労してさがした食堂でさえ、「これはまずい。これは朝鮮族の味だ。中国には本当の韓国料理はない」という始末。さすがのいい人日本人も当然怒り、また始まったかとあきれ顔。韓国人は特に韓国を愛し、なかなか譲らない。


私の見たところ、韓国人は特に適応力がない。それは彼らにとって、韓国が常に一番であり、並々ならぬ愛国心を持っているところに起因していると考える。言ってしまえば、韓国は未だ閉ざされた文化だ。日本からは買い物目的の旅行客が多いが、私たちは韓国のことをどれほど知っているのか?実際、中国人と韓国人の区別がついていないのが現状だ。韓国は長い侵略された歴史の中、自分達の文化を守ってきた。そのためつい最近まで日本の文化の侵入を閉ざし、日本を目のかたきにしてここまできている。若者は日本を進んだ国だと受け止めるが、戦前・戦後の世代になると話は別で、日本をよく思っていない。実際、韓国に行って、観光客が行かないような地元の食堂に行ったときのこと、日本人が近くにいて不愉快だと席を変えられたこともあった。


日本が彼らにしたことを思えば当然なのだが、現実を目の当たりにしたときのショックは大きい。しかし、日本の侵略が彼らに愛国心を培わせたのなら、私たち日本人に彼らを批判する資格があるのだろうか。そして、現在の朝鮮半島状勢やそのための兵役制度が彼らの文化に与えた影響も大きすぎる。ひとつの異なる文化を理解するにはその歴史的背景や現在の状況を学ぶ必要があり、異文化理解の難しさや、理解しきれぬもどかしさを身をもって体験した。


さて、私が留学したのは中国なのだから、当然中国の文化についても触れるべきだ。中国人の大多数を占める漢族を始め、中国はその他55の少数民族を抱える多民族国家である。おおよそ私たちが認識する中国人とは漢族のことであり、その他の民族の実状はあまり知られていない。私の中国人の友人は、中国人とはいっても朝鮮族なので一般の漢族とはまた違う。彼らは中国語の他、日常的に朝鮮語を話し、化粧などは中国より韓国に近い韓式メイクである。


そして、中国といえば“一人っ子政策”で有名なのだが、朝鮮族は少数民族であるが故に2人まで子供を産んでもいいという優遇政策がある。そのため私の友人は中国人でありながら、二つ下の弟もいる。見たところ、私の朝鮮族の友人は漢族と違うという意識がはっきりしているようであるし、東北地方では漢族の居住地域、朝鮮族の居住地域、と別れているところもある。中国は国土の広さもさながら、13億という膨大な人口と多民族という特性から、日本や韓国の単一民族国家と同じように、中国人にはこういう傾向がある、とは言いきれないのが中国であると考える。


私一個人としては、中国のやり方があまり好きではなく、ダライ・ラマに関するチベット仏教の問題や新彊ウイグル自治区で起こっている独立運動のことを考えると、多少強引すぎやしないだろうか。その強引さも、日々発展の目覚ましい中国、13億の市場を持つ中国であるから、国際社会でも日増しに立場を強め、他国も干渉できないという現実が非常に悔しい。


留学して一番の収穫は、異なる文化・言語・人種との積極的な交わりを日々感じる刺激であった。詰め込んだ知識より、肌で感じることがどれほど大切か、どれほどすばらしい収穫か、はっきりとわかった。そして国際社会の中で日本がしてきたこと、日本の現在の地位も肌で感じて知ることができた。中国人に「南京大虐殺って知っているか?」韓国人に「日本が朝鮮半島を侵略してきたことをどう思うか?」ときかれて、私は未だうまく答えることができないだろう。過去にあったことをうやむやにすることはできない。私にできることは、私という媒体を通してその異なる文化をお互いに理解し合えるようになれれば素晴らしいと思う。そのために、今後も関心をもち、人々と関わっていきたい。

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