中国留学記 吉林大学

長春に留学して

O.S.


「これから一年間、こんなところで暮らすのか!」これが正直な第一印象でした。
1995年2月26日午前10時、長春空港に降り立った私は、零下15度の寒さよりもまず空気の悪さに驚きました。工業都市だということを聞いた時にある程度予想はしていたのですが------。


長春市は吉林省の省都であり、日本が旧「満州国」を成立させた時、首都「新京」をおいたところです。そのため、市内には今でも日本人の作った建築物がいくつか残っており、それぞれ学校や共産党委員会などとして現役で使われています。
さて私の通っていた吉林大学は長春のメインストリート、斯大林大街(現人民大街)沿いにありました。市の中心部に近く、交通量も多い賑やかなとおりです。かなり大きな大学なのでキャンパスが市内の「北区」と郊外の「南区」に別れているものの、大部分の留学生は便利な「北区」に住んでいました。


この大学の留学生の受入態勢は極めていい加減で(と私たちには映る)同じ漢語進修生でも来る時期や斡旋団体によって受け入れ方が異なっていたようです。しかも弁公室の金儲け主義が丸見えで、健康診断だ、リターンビザの取得だとなにかにつけて高額のお金を要求されました。あるいはこれから本当に必要な料金なのかも知れませんが、他校の留学生よりも数倍高い金額でした。


肝心の授業ですが、先生に恵まれたため、充実した一年間だったと思います。私の所属していたクラスは中級班で、閲読、語法、听力などの授業があり、後期には教材として新聞も用いて勉強しました。初めの二ヶ月間は「有気音と無気音の区別がついていない」と徹底的に発音の指導を受け、これまでの勉強不足を後悔しました。クラスの人数は6人、日本人3名と韓国人3名で、小人数だったせいもあってかほのぼのとした雰囲気のクラスでした。


授業は午前中のみで、午後は基本的に自由です。家庭教師を雇ったり、絵や音楽など習い事をしたりと、人によってさまざまな過ごし方をしていました。私は週に3日、吉大の日語系の学生に中国語を教えてもらっていたほか、毎日日曜日に貿易会社に勤める中国人女性と「互相学習」をしていました。「互相学習」というのは日本語と中国語をお互いに教え合う学習法のことですが、殆ど雑談に近いものでした。(一度彼女の家に遊びに行った時に、姪である4歳の女の子が漢字を勉強しているのを見てびっくりしたのを覚えています。)


留学生寮に住んでいると、中国人と接するのと同じくらい他の外国人と接する機会が多くなり、それが中国語のよい練習となりました。ルームメイトの韓国人、隣室のラオス人やカナダ人などそれぞれ中国語のレベルは様々でしたが、話すことによって知らなかった単語を知ったり、他の国の事情を知ることができたりと、大変勉強になりました。


一年間の間には、中国人の結婚式に招待されたり、家に呼んでもらって餃子の作り方を教えてもらったりと、他では出来ないような貴重な体験をすることが出来ました。長距離列車の中で一晩中議論に付き合わされたのも、今となってはよい思い出です。(テーマは「北京と長春ではどちらが暮らしやすいか」というもので、同じコンパートメントに北京人と長春人がいたことから話が始まりました。)せっかく生活にも慣れ、友人も増えてきたところで帰国となってしまったので、少し残念な気がします。


留学中(特に旅行中)は何度も「中国人なんて嫌いだ」という思いを味わいましたが、それ以上に「だから中国人が好きなんだ」という経験もすることができました。文化の違いもさることながら、どこの国にもいろいろな人がいますから「○○人は---」と一括りにすることはできないと思いますが、様々な種類の人たちと触れ合うことができたのは留学の大きな成果だったと思います。


もう一つ、留学しなかったら決して得られなかったであろうと思うことは、日本という国について考えさせられたことです。当然のことですが、日本人以外の友人と話していると、「こういう時日本ではどうするのか?」「このことについて日本人としてどう思うか?」ことあるごとに訊ねられます。その時はじめて、私は中国ばかりに目を向けて、日本について考える機会を持たなかったことを反省しました。「外国に住むと、ナショナリズムに目覚める」とよく言いますが、ある意味ではそうなのかも知れません。日本においては日本人であることが当然で、日本という国について考える機会も必要もあまりなかったのですから。


たった一年間、しかも留学生寮という限られた世界で学べることはそれほど多くありません。しかし、これらは留学という経験を通さなければ得られなかったものであることだけは確かです。


留学とは、語学を学ぶ手助けとなる環境が整っているだけのことであり、学ぶのはあくまで自分です。留学したからといって自然に中国語が上達することはありません。環境をどのように生かすかが勝負なのだと思います。私自身、反省することが多かったので、これから留学に行かれる後輩の皆さんには是非悔いの無い生活を送ってきてほしいと思います。

PAGE TOP