インドネシア語を使った国際交流:「外国人児童の指導協力員」にCoba(挑戦)!

インドネシア語専修 4年次生 植松 千恵



言語学科インドネシア語専修4年次生の植松千恵さんは、昨年から今年の2月まで宇治市帰国・外国人児童生徒受入促進事業の指導協力員として、宇治市の小学校で活躍されました。ぜひこの機会に後輩の皆さんにも指導協力員*について知っていただきたいと思い、インドネシア語専修の若林先生にインタビューしていただきました。
*日本語指導員という名称を使用している自治体もあります。

あまりききなれない名称ですが、
指導協力員になるきっかけは、なんだったのでしょうか。

2回生の夏に留学を断念したときに、留学する友達が現地で成長するように私も日本で出来ることをして成長したいと思い、先生にインドネシアからの留学生を紹介していただいたのがそもそもの始まりでした。
その留学生と週1回程度会ってお話するようになり、それから1年経った3回生の秋頃にその留学生の家族(奥さんと子供さん3人)が日本に来られました。そしてその1番上の6歳の息子さんが小学校へ編入する手続きの際に、小学校へ付き添っていったのがきっかけで、外国人児童の指導協力員(日本語の補助員)としてアルバイトさせて頂くことになりました。

いつ、そして一日に何時間、小学校へ通いましたか。

普段は講義のない月曜・水曜の週2日、試験中・休暇中は可能な日(就職活動の予定が入っていない日)に、その児童が登校する朝8時から下校する15時まで小学校へ行っていました。

具体的にはどのようなことをしたのですか。

授業中にその児童の側で、先生が説明していることや板書・教科書の内容、わからないところを中心にインドネシア語で説明するのがメインでした。
その他では、最初の頃は休憩時間に友達同士で話をするときに間に入ったりしていたのですが、お互いに慣れてくると子供たちだけで平気になりました。そして、もっと彼とコミュニケーションをとりたい、と思う子供がたくさんいたので、休憩時間にインドネシア語の挨拶や簡単な単語を子供たちの自由帳に書いたりしていました。

下校した後もフォローしていたそうですが、具体的にはどのようなことをしていたのですか。

まず配布物やその日のこと、連絡事項などをお母さんにお話して、そのあと宿題に書かれた言葉の意味、やり方を説明しました。だいたい帰ってすぐに宿題をしてもらって、そのあとはお母さんとお互いの生活・文化についてお話したり、日本語のテキストの説明をしたり、兄弟3人と一緒にテレビを見て話をしたり。帰ると暗くなっていることもありました。

指導協力員として活動していた時のエピソードについて教えてください。

小学校へ行けない日が何日か続いて次に学校へ行ったときに、以前はわからなかったことや出来なかったことがきちんと出来るようになっていたり、いつのまにか友達の言ったことを理解して一緒に作業が出来るようになっていたり、というのを目にして子供ってすごいなぁ!と思うことがよくありました。

子供たちの自由帳にインドネシア語の言葉を書いていたのですが、家でお母さんと一緒に覚えたよ、という子がたくさんいたり、音楽の授業で練習したインドネシアの歌を子供たちが歌詞を見なくても歌えるようになったり、偶然教科書に載っていたインドネシアのじゃんけんを覚えて遊ぶときに使ったり、と自分が学んでいる言語や文化がこういう場面をきっかけに子供たちに知ってもらうことができたことをとてもうれしく思いました。

指導協力員という仕事に携わって、得たものは何でしたか。

私は大学でインドネシア語と出会って勉強していく中で、どうすれば生きた言語を学べるんだろう?と思うことがよくありました。一番早く身につけられるのは留学だと思いますが、私の場合は諸事情により留学できませんでした。しかし自分に与えられた環境の中で自分なりに、今しか出来ないことをしようと行動しました。それが旅行で現地の人と接する中で得たものであったり、この日本語の補助員を体験したことからたくさんの生きたインドネシア語や文化を学ぶことができました。
私の持っている語彙では伝わらないことも多くあって、力不足だなぁと思うこともあったのですが、そう思う度に本で学ぶインドネシア語とは違う生きた言語の魅力を感じ、より前向きになれたのだと思います。

最後に後輩の皆さんに一言お願いします。

大学に入学して最初に知ったインドネシア語は、黒板に大きく書かれた「Coba(挑戦する)」という言葉でした。先生がいつもおっしゃっていた「Cobaの精神」は私の大学生活を振り返る中で、大きなキーワードとなっています。何かに挑戦することは、たとえそれがどんな小さなことであっても次のチャンスへと繋がっていくことだと思います。皆さんも何かチャンスがあった時は、迷わずに挑戦してください。


思いがけぬきっかけで指導協力員という体験をした植松さん。授業では決して体験することのできない出来事だったと思います。まさしく、学んだ語学を活かすことのできた貴重な体験だったと思います。また、個人対個人の国際交流にも貢献できたのではないでしょうか。
この夏には、現地インドネシアでお母さんや子供たちのとの再会を予定している植松さん。ぜひとも心温まる再会を果たしてほしいと思います。

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