テレビや映画などで活躍されている俳優の甲本雅裕さんは、実は本学の卒業生。学生時代は経営学部に所属しながら、剣道部で活動されていました。学生時代の思い出をお聞きすると、「とにかく、剣道の練習がきつかった!(笑)早朝練習、講義、講義が終わるとまた練習といった毎日で、大学と寮の往復しかしていませんでしたね」。小学生から剣道一筋、本学在学中に全国大会出場も果たした甲本さんでしたが、そのまま剣道主体の人生を送ることには疑問を持っていたそうです。「一生続けたいことではない気がする一方で、積み上げたものを捨てるのが惜しい気持ちもあって。かといって、本当にしたいことが何なのかは分かりませんでした。でも、大学で剣道をやり尽くせたおかげで、とにかく一度剣道を離れて、本当にしたいことをゼロから探す決断ができたと思います」。100%の力でやめて、新しいことへ100%の力で挑戦すると決めた甲本さんはアパレル会社に就職。服の組成について生地から全てを知りたいと生産管理を希望しました。布地がずらりと並ぶ倉庫で、貪欲に勉強する日々。「『もっと仕事をくれ!』というくらい、毎日、前のめりになって仕事をしました。でも1年ほどすると、『これじゃない』と思っている自分がいたんです」。そんな時、レンタルビデオで見た映画に、甲本さんは引きつけられていきました。「作品ごとに何にでもなれる俳優を見て、うらやましさを感じたんです。自分はそれまで一つの道を突き進むことにこだわっ
ていましたが、もしかして、ころころ目新しいものに変わりたいのかもしれないと思いました。次第に、家に帰ってからビデオを見るのが楽しみになって、休みの日も家で映画ばかり見て、そのひとときがたまらなく楽しく感じるようになりましたね。今の仕事は違う、という思いを押さえきれなくなった時、上司に、辞めさせてくださいと言っていました」。退職した甲本さんは東京へ上京。迷いはなかったそうです。
上京した甲本さんの転機は、意外に早くやってきました。24歳のとき、知人を通して三谷幸喜氏を紹介され、その日のうちに「出てみる?」と一言。天からの声に聞こえた、というこの言葉をきっかけに、劇団・東京サンシャインボーイズに加わり、『天国から北へ3キロ』という作品で舞台デビューすることに。「全力で挑みましたが、実力のなさを痛感しましたね。僕が出ると、客席がぴたっと固まるのが分かるんですよ。まるで生き地獄でした」。そんな甲本さんが、初舞台で最も印象に残っているのは千秋楽の後、舞台を解体していたときのことだそうです。「せっかく作ったのに壊すのかって、何だか泣けてきて。けど、潔く壊すことで、またゼロから新しいことに向かっていけるんですよね。その新しさに、自分が求めていたのはこれだと確信しました」。そんな甲本さんは、これまでに“苦労”を感じたことはなかったといいます。「30代半ばまではアルバイトもしていたし、電気を止められることもしょっちゅう。端から見たら苦労なのかもしれませんが、心からしたいことに挑戦できていることが、全くの幸せでしたね」。俳優という仕事につきまとう、先の見えない不安さえも、むしろ楽しさと甲本さんは語ります。「次に何が来るんだろうっていう、浮遊しているような不安さが、怖いですね。でもその怖さって、剣道で戦う前の怖さに似ていて、未知のものに向かっていく緊張感だったりするんです。先が読めないから、楽しい。その緊張感をこの歳まで持ち続けていられるのは、嬉しいですね。そして、いざ仕事がきたら苦しみながら役づくりに取り組む。上手くいかないことばかりです。でも、それさえ楽しいと感じることがあるんだって、役者になって、初めて知りました」。俳優という生き方に出合い、今も全力で挑戦している甲本さん。「焦って自分の道を決めることはないと思います。無理に選ぶのではなく、冷静に見極めていく。たまには息抜きしながらね。ずっと緩んだままもダメですけど(笑)」と学生へのメッセージをいただきました。