【国際関係学部】広島原爆の語り部 近藤紘子氏を招き 講演会「戦後78年のヒロシマからのメッセージ ー心に平和を」を開催
2023.07.27

7月6日(木)5時限目、国際関係学部の「平和構築論Ⅰ」(担当:クロス京子教授)の授業の一環として講演会「戦後78年のヒロシマからのメッセージ ー心に平和を」が開催されました。広島原爆の語り部・国際養子縁組活動家である近藤紘子氏にお越しいただき、被爆体験から被爆後のご活躍までお話しいただきました。
(国際関係学部3年次 小坂 亜香梨)
広島に原爆が投下された1945年8月6日のお話から始まりました。紘子さんは当時生後8カ月で被爆の記憶がないことから、その時紘子さんを抱いていたお母様からお話を聞きかれたようです。しかし、あまりにもつらい経験のため紘子さんが40歳になるまでお母様がお話しされることはなかったそうです。広島が復興していく頃には紘子さんは物心がついていたため、その時の記憶と想いを講演会ではお話してくださいました。

被爆者にとって原爆は悲惨で恐ろしく、それを投下した人に対して激しく強い嫌悪を抱いても不思議ではありません。紘子さんも同じように強い嫌悪感情を抱いておられました。お父様が牧師ということもあり、紘子さんは教会にやって来るひどい火傷を負った女性たちや孤児たちの様子を見たり、その人たちの会話を聞いているうちに、原爆を落としたアメリカへの憎しみを抱くようになったそうです。当時4歳の紘子さんは「悪いのは原爆を落とした、エノラ・ゲイに乗っていた人たち。将来大人になったら、私が絶対に敵を討ってやる」という強い意志を持っておられました。その後、1955年5月11日にアメリカのテレビ番組の撮影で実際に原爆を投下した飛行機、エノラ・ゲイの副操縦士だったキャプテン・ロバート・ルイスに会う機会がありました。その時小学5年生だった紘子さんは、ルイスが涙しながら謝罪する様子を見て、憎むべきは原爆を落としたその人ではなく、「私が憎むべきは戦争を引き起こす人間の心の中の悪」だと気付いたと述べられました。紘子さんがまだ小学校高学年でありながら、憎しみを乗り越え、自身の過ちに気付き、本当に憎むべきものが何であるかに気付かれたことに驚くと同時に、たとえ敵であっても人の心を受け止めることが大切だということも学びました。

講演会の後半では、学生が紘子さんに質問する機会がありました。その際には、紘子さんのお父様である谷本清さんの原爆の実相を伝えるための活動や、『ニューヨーカー』に「ヒロシマ」という記事で原爆被害を初めて報道した、ピューリッツァー賞作家ジョン・ハーシーとの交流を、時には悲しみの表情を見せながら紹介してくださいました。辛い記憶であるのにも関わらず、このように私たち学生の前に立ってお話してくださいましたことに感謝申し上げます。
また、現在進行中のウクライナ侵攻に対しても言及され、「心が痛いです」「いまだにこの世界に核があることがつらいです」と思いをこぼしていらっしゃいました。
「核のない世界、あなたたちの一人一人の手にゆだねたい。」—私たちが紘子さんから頂いた言葉です。戦後に生まれた私たちが、日本を、世界をどう動かしていくか。舵を切るのは私たちです。核のない世界を目指すために、今、私たちが何をすべきか問われた思いです。
また、現在進行中のウクライナ侵攻に対しても言及され、「心が痛いです」「いまだにこの世界に核があることがつらいです」と思いをこぼしていらっしゃいました。
「核のない世界、あなたたちの一人一人の手にゆだねたい。」—私たちが紘子さんから頂いた言葉です。戦後に生まれた私たちが、日本を、世界をどう動かしていくか。舵を切るのは私たちです。核のない世界を目指すために、今、私たちが何をすべきか問われた思いです。



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