ドイツ グライフスヴァルト大学に留学中の学生から留学体験記が届きました

留学の中間報告

バーベキューの様子
留学が始まってから七ヶ月が経ちました。たくさんの人が言うように、時間はあっという間に過ぎていき、今ではもう10月です。私の留学の地、グライフスヴァルトではもうマフラーと帽子が手放せないほど寒くなりました。

私の留学生活は当初思い描いたように上手くは進みませんでした。
ドイツ語を誰よりもたくさん話して、たくさん友達を作って、授業にも積極的に参加したい。短期語学実習で一度訪れたことのある土地だから大丈夫。そんな慢心しきった私の理想とは違い、現実は当然厳しく、見事に挫折しました。

留学初めである4月、夢しか携えてこなかった私には“聞きとって考えて話す”という当たり前のことすら本当に難しく、毎日授業が終わるたびにぐったりしていました。クラスメイト達がぺらぺらと発言するなか、単語すら出てこないこともしばしば。短期実習では見えなかった文化の違いにも戸惑い、授業外でドイツ語を話すことを避けたりもしました。今思えば、上手く話すことや文法を正しく使うことばかり考え、空回りばかりしていました。レベルの低い自分に劣等感を感じていたのだと思います。

その挫折から立ち直りつつあるのは、一年前に短期実習で知り合った友達と再会し、コースの仲間と文法はむちゃくちゃながらも話をするうちにゆっくりと“できない自分”を受け入れられたからだと思います。間違えを気にせずに発言する姿勢や、授業を止めてでも質問をする積極性を見習うとともに、留学や異文化理解以前に個人的な視野が本当に狭かったことを思い知らされました。

グライフスヴァルトにある跳ね橋

今まで戸惑うばかりだった文化の違いとの衝突も、慣れてきた今は、全て理解できなくても受け止めようと考えています。同じであることの方がおかしいのだから、むしろ違うことを楽しむ気持ちで毎日に臨んでいます。

例えば、日々のコミュニケーションスタイルにも既に大きな違いがあり、私が一番戸惑ったのもこれでした。これはドイツ人に限ったことではないかもしれませんが、日本よりもはっきりした意思表示と意味のある会話が好まれます。私が質問すれば理解するまで何度でも何分でも付き合ってくれますが、その逆を求められるのは当然のこと。一つ発言するたびに理由をきかれ、答えてもまた「Wieso?」が飛んできて曖昧を許してはくれません。日本でよく言われるような“空気を読む”だとか、“察する”会話に慣れていた私は、私事に口出しされているような、理由がないことを責められているような気分になることもありました。文法がこんがらがった、曖昧に回答を濁したい、そもそも何を言っているかわからないなど様々な理由で沈黙しても、ドイツ人はそれを会話の中断とみなして何か言葉を発するまで待ってくれます。頭で整理する時間が必要な時はありがたいのですが、正直今でもプレッシャーを感じずにはいられません。本当のことを言うために長い沈黙をつくるより、簡単につける嘘を選ぶことも多々ありました。「嘘も方便」と自分に言い訳するのが苦しかったのを覚えています。

他にも、違いを感じた点として誠実さと有言実行の姿勢が挙げられると思います。タンデムパートナーに雑談として「このまえ歯が痛くなったんだけど、外国で歯医者に行くのは勇気がいるよね」と話したことがありました。そのまま旅行や歯医者の話題に移ると予想をしていたのですが、会話をしていくうちにその場で歯医者の当日予約をとることになり、最終的に診察室まで付き添ってくれました。私の周りのドイツ人は誰かが深く考えず言った提案でも実行に移そうと動くことが多いように思います。今まで一度もこんなスピード解決を経験したことがなかったので本当に驚きました。

「語学は道具であり、使うほど上手く扱えるようになる」というのは真実で、実際にたくさん話すようになってからは驚くくらい使える単語の数が増えました。ドイツ人のしゃべりかたや言い回しをマネして、自然な会話運びを考えようと試行錯誤しています。最初の頃に躓いてさぼったぶん私のドイツ語はまだむちゃくちゃですが、今は友達と料理をしたり、旅行に行ったり、タンデムパートナーと会話をしてとても楽しく過ごしています。時々日本が恋しくなることもありますが、この留学があと4ヶ月ほどで終わってしまうことの方が今はさみしいです。

冬学期からはC1コースがそのレベル故に順調な出だしとはいえませんが、授業も、生活も、全力で取り組みボロボロになって帰りたいと思います!

 

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