留学体験記が届きました
(高屋 賢太郎さん ケルン大学)

私は2017年2月から2018年2月までの一年間、ドイツのケルンという都市に留学していました。ドイツが2014年サッカーW杯で優勝して以来、私はドイツという国に興味を持ち、魅了されていました。そして、気が付けばドイツへ留学することが私の中で密かではありましたが、非常に大きな夢であり、目標になっていました。
公園に行けば、好奇心旺盛な子供と触れ合えます。何気ない触れ合いから新たな発見があったりします。
私が留学したケルンはドイツの主要都市であり、工業地帯に属すと同時に観光地としても有名です。そのため、多数の国籍、人種、宗教や思想が混在していました。私がケルンという都市に興味を惹かれた理由もそこにあり、まるで世界を一つに集約したような異様な街で生活することで自身の価値観の幅を広げようと考え、ケルンへの留学を決意しました。また、ケルン大学は現在、国際交流に非常に力を入れており、世界各国からいわゆるエリートといわれる学生が集まってきていました。そのような環境下において、私は非常に小さな存在でした。留学以前の自身の努力に自信を持っていなかったわけでも、日常生活でドイツ語での意思疎通が全くできなかったわけでもありませんでしたが、他国からの留学生やドイツ人学生に対して、大きな敗北感や劣等感を感じ、胸が苦しくなることも度々ありました。その理由として、私自身が周囲からの評価を気にする性格や考え方が大きく関係していたと思います。

私はこれまでの成長過程において、自身の存在価値を証明する方法を考えて生きてきました。「人より少しでもサッカーが上手いと思われたい」とか「テストで一番になりたい」とか簡単に言うと、負けん気が非常に強く、勝気な性格でした。勝気な性格というのは、粘り強い、努力を惜しまないなどポジティブな要素を持つ反面、視野を狭めてしまう要因になることもあります。表面上の結果に固執するあまりに、その奥先にある本質に気が付くことができない可能性があるからです。実際に私自身もドイツで自信満々に提出したテストがふがいない結果に終わったという事実を受け止めるのに時間がかかり、「どうしてそういう結果になったのか」までを考える余裕がない時期がありました。そうなったら最後、負のスパイラルです。「次は、次こそは…」と意固地になるのですが、根本的な問題点を改善できないために結果が付いてこなくなります。そうした状況に耐えきれなくなった私は現実逃避を兼ねて、安い夜行バスなどを探しては国内外へ逃亡を図りました。幸運なことにケルンは交通の中心地として、多くの交通ネットワークを構築していました。そのおかげで逃亡は非常にたやすいものでした。不思議なことに人間というのは、ほんのわずかでも新たな刺激を取り入れると心に余裕が生まれるようです。そうなると一歩引いて物事を考えることができるようになり、問題に対しての向き合い方が変わってきます。そうしたことを繰り返すうちに、結果に固執することがいかに小さなことかに気が付き、「あー、だめだったかー。まあ、次はうまいことやるけどね。」くらいに心境の変化は訪れます。気持ちが軽くなり、いい意味で飄々とした性格になって初めて、私は物事に対して、なぜ、どうしてという感情が次から次に自然と生まれるようになりました。こうして私は初めて、様々な価値観をアレルギーなく受け入れることができるようになりました。少し時間はかかりましたが、当初の目標であった自身の価値観の幅を広げるという目標も達成できたと思います。留学というのは非常に有意義なものですが、決して楽しいだけではないですし、キラキラした華やかな面だけではないです。様々な葛藤を抱えることになります。結果が出なくて思い悩むことも日本のテレビ番組が恋しくなることも友人たちの楽しそうなSNSを見て切ない気持ち、うらやましい気持ちになることも会いたい人に会いたいときに会えないもどかしさを感じることも目標を見失うこともありました。しかし、留学にはそうした虚無感と上手な付き合い方や自身の感情のコントロールの仕方を学び、自身のキャパシティを実感できるという圧倒的なポジティブ要素、更には性格にまで影響を与えてしまう力があります。

国際親善試合でケルンを訪れていたサッカードイツ代表選手たちからもらったサインは宝物になりました。
後付けにはなるのできれいごとに感じる人もいるかと思いますが、私は留学したいという動機の入り口は語学力向上、異文化理解、海外生活への憧れなど、どこでも何でもいいと思います。大事なのは出口に達するまでの間にどれだけの経験ができて、どんな思いを抱いて、どこまで自身と向き合えるかだと感じました。自身の成長につながる要素はそこら中に落っこちています。それに気が付けるかどうか次第で、一回りも二回りも大きく成長できる環境が留学にはあります。そうした経験をできたことは私の人生の財産になると同時に、留学を通じて得たものは、どこに出しても恥ずかしくないと胸を張って言える私の一生の宝物です。
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