留学体験記が届きました(井谷 祐哉さん ライプチヒ大学)

キャプテンとの1枚

私は2015年の約1年間ライプチヒに留学しました。
ライプチヒという街は文化的に有名で、音楽家バッハやメンデルスゾーン、文豪ゲーテなどにゆかりがある街です。また、音楽の教科書に載っている、滝廉太郎もライプチヒに音楽留学をしていたそうです。

私はライプチヒ大学附属の語学学校で、A2、B1、B2、C1の4コースでドイツ語を集中的に学びました。プログラムとしては、初級にあたるA2、B1でドイツ語の文法の基礎を固め、中級のB2以降は会話の上達を目指すような流れです。上級のC1ともなると、高校の生物をさらに発展させたような、体内のホルモンに関する内容やインムンシステム(体内抗生物質etc.)など、ドイツ語以前に、基礎知識がないと付いていくのが難しいような授業でした。

私は「ドイツ語をすらすら話せるようになること」を目標に留学をしたので、語学学校にいる他の日本人と話すよりは、外国の友人と話すことを心がけていました。私が短期間で上級のクラスまで上がったのも上記のことを実践したからこそだと思っています。留学を考えているのなら、ドイツ語をたくさん使うことを意識するべきです。海外の友人も大勢できますし、絶対にお勧めです。

語学学校の友人はネイティブドイツ人ではないので、より本格的なドイツ語を取得すべく、„Fußballverein‟、いわゆる地域のサッカーチームにも所属しました。ここで出会ったチームメイトや、ここでの経験は一生忘れることのできない私の財産です。 渡独して間もないころはドイツ語が今ほど流暢ではなかったので、コミュニケーションがうまく取れず、間違いだらけのドイツ語とジェスチャーで会話をしていました。ひたむきにチームメイトと向き合い、ボロボロになりながら屈強なドイツ人に体当たりをしてボールに食らいついていました。監督にも認められ、毎週末の対抗試合にもレギュラーとして出場しました。

ドイツで外国人の彼女が出来たこと、サッカーチームへの参加、この2つの経験によって、語学学校では学べない、愛を語らうドイツ語や、相手チームをののしるドイツ語の取得を果たし、交友関係を一段と広げ、深めることが出来たきっかけにつながったと思います。住んでいた寮では、中国人・韓国人と慰安婦問題や領土問題に関してディベートし、シリア人の宗教による紛争や、家族を捨ててドイツで生きていくことへの決心など、こちらから話をするのが躊躇してしまいそうな話題を相手から持ち出されるようにまでなったのも、ドイツ語を通じて互いに強い人間関係・信頼関係を築けたからこそだと思います。
リビア人、カメルーン人、シリア人、韓国人、国籍を挙げるとキリがありませんが、毎晩さまざまな友人の部屋を訪れ、各国の夕飯を振る舞ってもらったのも良き思い出です。

「留学を通して様々な経験が得られ…」などと言われますが、それは海外にいる以上、当たり前の話です。その経験を深いものにするのか、浅い経験で終わらせるかは自分次第です。とあるシリアの友人に、「祐哉は他の日本人と違ってシャイじゃないね」と言われました。褒め言葉として受け取っています。
この留学の自己採点は100点満点です。是非皆さんも自分が納得のいく留学をしていただければと思います。

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