「ライプツィヒでの学び」高見 幸穂さん

アパートで作ったオムライス
私がドイツで感じさせられたことは自分の能力の過信である。実際にライプツィヒで学習、生活をし、自分の語学能力の低さを痛感した。正直実習に行く前は、もう少し自分はドイツ語が理解でき、話すことができると考えていた。そんな考えがどれだけ甘かったか教えられた。ドイツ語学習をやめてしまいたいと感じたときもあった。しかし、それらの経験からもっと勉強をしなければならないと思い、ドイツ語の学習意欲が向上した。この3週間毎日もっと勉強しなければと感じた。自分がドイツ感じ、学んだことを振り返っていきたい。
まず私は海外に行くこと自体が初めての体験であった。そのため、自分が「外国人」であるという感覚を初めて味わった。顔の造りも全く現地の方とは違うので歩いているだけで珍しそうに見られることも多くあった。面白いと感じたことはほぼすべての方に中国人だと思われていたことだ。私も欧米の方がどこの出身の方か分からないので同じ感覚なのだろうか。
ドイツの街並みは当たり前であるが日本とは全く違い、道路や看板、信号も違うので始めは慣れなかった。日本と比べ信号や標識が無い道が多く、渡っていいのか分からないので止まっていると、現地の方がすっと渡っていくので「渡ってよかったのか。」と、渡るということが何度もあった。文化というか常識の違いは多くあり、驚きばかりであったがそれを書くとそれだけでこのレポートが終わってしまいそうなので割愛する。
私はこの実習期間中に大きく分けて3回、自分の語学能力に心底絶望した。今思うとこの経験が私を成長させてくれた。
まず1つ目は学校のクラス分けテストである。私は下から2番目のクラスになった。そんな小さなことでと自分でも思うが、相当ショックであった。京都産業大学でのドイツ語のテストでそこそこの点数を取っていた私はもっと上のクラスに入れると信じていた。本当にただ自分を過信していたのだ。自分と同じくらいの能力だと思っていた友人は私より2つも上のクラスであった。本当に悔しかったが、何より怒りを感じたのは自分を過信し、テストがあることを知っていながらしっかりと勉強をしていなかったことである。勉強をしていればもっといい点数が取れたのではと考える一方で、これが今の自分の本当の実力なのだと感じた。友人たちよりもっと勉強しなければと思ったが、大きな問題があった。それは住んでいるアパートに1人になる時間、空間が存在しなかったことだ。机と椅子は確かにあったが1人で勉強をすることはできなかった。夜に電気を付けてしまうと寝ている友人が起きてしまうと思い、唯一1人になれるお風呂で座り込み泣きながら勉強をしたのもいい思い出だ。また下のクラスで授業がとても簡単であったため、先生が話す言葉を全て理解することを目標に授業を受けた。分からなかった単語は家に帰り辞書で調べた。ただ、プロジェクトの先生は私たちがどこのクラスにいるかなど一切気にせず話すので、全て理解どころか全く分からないことが多々あった。これもいい経験だと感じた。
デモがありゆっくり見れなかったブランデンブルク門
2つ目はトラブルがあったときだ。私の班のアパートの部屋は玄関の鍵がすこぶる硬かった。ドイツ生活2日目にして部屋に入れなくなったのである。このとき私たちは鍵が壊れたのだと思っていた。とりあえず日本語ができ私たちのサポート役であったJosefさんに連絡を取ろうと、InterDaFに電話したが出ず、アパートの会社に直接電話を掛けることになった。もちろん相手はドイツ人であり、話す言葉がとても速かった。なんとか部屋に入れないことは伝えられたがその後の話が全く理解できなかった。なぜ自分はこれだけしかドイツ語を理解し、話すことができないのだろうか。もう一度掛けたところで言いたいことを伝えることができないので絶望的であった。自分の語学力、単語力の無さに嫌になった。拙いドイツ語で話す私の話を理解しようとしてくれていた会社の人には失礼なことをした。どうしようと思っていた私たちを助けてくれたのは同じ階に住む現地の女性であった。「ちょっと貸して。この鍵硬いわね。」と言いながら鍵を開けてくれたのだ。 
3つ目は日本語を学んでいるドイツ人の方との交流会のときである。私たちと席が近かったBenさんと話していたが自己紹介はできるものの話を膨らますことができず、Benさんに日本語ばかり話させてしまった。そして2回目の交流会はより酷い結果であった。今度はCynthiaさんとKatrinaさんと話したが、折り紙が好きという2人に何を伝えていいか分からず無言の時間が長く続いた。2人は日本語を話したり、聞き取ったりすることはできないらしくドイツ語で全て会話していくのは今の私には非常に厳しいものであった。最後は逃げるように帰ってしまった。このときは本当にドイツ語を習得することに挫折しそうになった。2人には本当に申し訳ないことをしてしまったし、自分がこれしかドイツ語を話す、聞き取ることができないのかと悔しく、悲しくなった。その後、最初の交流会で仲良くなったPatriceさんに「2人は少し聞き取りにくいドイツ語を話す。ドイツ語しか話さなかったんでしょ?それはとても辛いね。」と言われ、涙が出そうになった。Patriceさんの優しさは本当に嬉しく、しっかりと勉強してこんなことがないようにしようと思わせてくれた。
この3つの出来事がこの実習で最も自分に変化を与えたことである。こんな小さなことは言語を学んでいれば当たり前のことであるが、初めて実際に体験した私には非常に大切な出来事であった。全て悔しく、辛かったがその度に周りのドイツ人の方に助けられた。彼らの助けがなければ、私は立ち直れなかったのではないだろうか。この経験が得られたことがこの実習での私の成果である。今回の実習ではPatriceさんを始め、多くの人に助けられた。町でも右も左も分からない私たちに親切にしてくれ、困っているときに当たり前のように助けてくれる素敵な人たちばかりに出会うことができた。私も困っている人を助けられる人になりたいと強く感じた。優しさというのは自分がされると誰かにもしようと思わせてくれる不思議なものである。
この実習は私を成長させてくれた。また長期留学へ行きたいという気持ちを大きくしてくれた。今のこの気持ちを忘れることなく勉強に励み、今より成長してまたドイツに留学をしたいと強く感じた。実習に参加して本当に良かったと思う。

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