「〇〇≠あたりまえ」安積 凌佑さん

この写真はドイツで初めて買った朝食です。Brötchenの発音が上手く伝わらず、何度も言い直したことを今でも覚えています。
フライブルク滞在では、語学力の向上はもちろんだが、それ以上に日本とドイツ、さらには他の国々との文化の違いを肌で感じることで、私の中の「あたりまえ」がことごとく覆されたことが最も大きな収穫であったと感じている。私の中で特に印象深かったものが二点ある。
まず一点目は、ドイツ人の週末の過ごし方である。ある土曜日、私は夕食の準備をしようと思い、街の中心街へと出かけた。その日、フライブルクのサッカーチームが試合ということもあったのか、街はとにかく賑わっていた。至る所で音楽や、大道芸のパフォーマンスが行われており、まるで祭りのようであった。次の日、私はあの雰囲気をもう一度感じたいと思い、また街へと出かけた。しかし、状況は一変し、賑わっているというよりはむしろ閑散としていた。スーパーも営業しておらず、唯一営業しているのは、マクドナルドくらいであった。日本の日曜日を考えてみると、一週間の中で最も賑わっており、店も営業しているというのが私のイメージだ。後々、ドイツ人にこのことを聞いてみると、日曜日は家族とゆっくり過ごすのが一般的であるという事実を知った。週末の過ごし方だけでもこんなにも違うのかと衝撃を受けた。
二点目は日本人と外国人の授業に対する姿勢の違いである。私は日本で授業を受けている時は、分からないことがあれば辞書などを使い、できるだけ自分の力で乗り切ろうとしてきた。私自身、それが「あたりまえ」と思っていた。しかし、ドイツでそれは一瞬にして覆された。外国人の生徒は、先生が説明している最中であっても“Entschuldigung”と声をかけ、質問をする。先生もそれを当然のように受け止め、質問に答える。正直、私には理解できなかった。日本で同じことをすれば、「話は最後まで聞きなさい」と注意されるだろうし、少なくとも私は説明を遮ってまで質問するのは失礼ではないかと感じた。しかし、日を追うごとにむしろ質問しなければならないと感じるようになった。ドイツでは「質問をしない=理解していない」と判断されてしまうからである。そして、質問を自ら考え、聞くことは理解の定着につながることにも気づいた。
今回のフライブルク滞在で、私の中の「あたりまえ」が覆されたことが様々な場面で良い影響を与えていくのではないかと感じている。一か月という短い滞在ではあったが、得たものはそれ以上であると自負している。



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