「ドイツ語海外実習で感じたこと」松本 のどかさん

私の班では今回の海外実習で、建築という面から課題が出されました。ドイツには歴史的な建物が非常に多く、また保存状態も良いため、語ろうとすれば無限に語れてしまうのですが、今回のレポートではそういった歴史的建造物ではなく、現代の街並みや今作り出されている景観について触れていきます。

まず実習先であるドイツ・ライプチヒへ来て街を歩き驚いたのは、どの建物も本当に美しく、街並みが徹底的にコントロールされているということでした。今回の海外実習ではアパートメントホテルへ宿泊しましたが、街並みを維持するため、通りに面した窓からは洗濯物を干してはいけないなどの細かな規定があり、非常に特徴的だと感じました。日本では当たり前に見られるテレビのアンテナもなく、どこを撮ってもフォトジェニックで非常に驚きました。また、学校で催されたエクスカージョンで訪れたドレスデンでは、新築の建物でも窓への装飾は街並みを維持するために厳しくルールがしかれており、ドイツの景観への意識の高さを強く理解することが出来ました。ドイツの住宅の窓枠は美しい木製が多く、日本で見られるような殺風景なアルミサッシは見かけることはまずありませんでした。アルミサッシは建物の外観が良くないことと、断熱性が低いためにあまり普及していないようです。
そしてこれは、私が帰国してから気付いたことですが、ドイツと日本で大きく違うのは電柱や伝線が無いことです。滞在期間はわずか3週間でしたが、ドイツの景色に慣れてから大阪の街並みを見たとき、その雑多でごちゃごちゃした電線に大変驚きました。ドイツは国家として電線類の地中化が進められており、これは景観への意識の高さと同時に、ドイツの環境への意識も強いことが分かります。ドイツでは長年、環境汚染が重要な政治課題として取り組まれているようで、30年以上の経験をもつそうです。ですから日本とは根本的に考えかたが違うといっても過言ではないでしょう。

このような観点からドイツの建築を見ていくと、日本人とドイツ人の景観への意識の高さの差だけでなく、環境問題への取り組み、ひいては社会全体で取り組もうとする意識の積極性も伺えます。日本で景観を大切にするために新築の建物に基準を設けるというのは、現代においてはなかなか有り得ない話ですが、これは何を表しているかといえば、みんなで何かをやろう、といった社会的な通念の薄さが滲み出ているのではないかということです。選挙などにおいてもこのことは当てはまり、「自分の力は社会に対して弱い、だから投票には行かない!」といった、自分は社会と関係ないというような希薄な社会性を浮き彫りにするものといえるのではないでしょうか。景観というのはまず1人で作るということはありえず、街に住む人々全員の協力があって出来上がるものです。つまり景観に対して個人は微力で、そうなったとき日本人ならどう行動し、ドイツ人がどう行動したのかということが景観に如実に表れた結果だと考えました。

そしてもうひとつ日本との大きな違いは、どこもかしこも道が石畳であるということです。美しい街並みがこの石畳によって完成されていると感じました。ですが同時に、これは現地に行ったからこそ体験したことなので、良い経験かなとは思いますが、はっきり言って歩きづらい。日本のアスファルトになれた私の足は、妙な段差とボコボコの道に何度もつまずきました。これも景観を守るドイツならではなのでしょうが、ベビーカーや自転車が日本よりも普及したドイツでは不便ではないのかなと少し思います。またその石畳と石畳の間にタバコの吸殻がたくさん詰まっているのを見ると、窓から干される布団は嫌うのに、そこはいいのかドイツ人、という気持ちになったものです。道のゴミを拾う専用の車が走っているのを見たので、一応対策はされていますが、やはり限界があると感じました。日本はポイ捨てへの倫理観は非常に高いですから、ここは誇れるなと感じました。ドイツには日本と違って街中にたくさんゴミ箱がありますから、それを活用すればいいのにと感じました。

今回ドイツで実際に感じてきたことは、決して写真では分からないことで、これから日本で生きていくとしても、ドイツで生きていくとしても、"肌でちがいを感じた"という経験そのものが大切だったのではないかなとこの実習を振り返ります。私は今回のドイツ語海外実習が人生初の海外渡航で、日常生活の行動ひとつひとつに異文化を感じることが出来ました。建築という観点でレポートが与えられていたので、ああでもないこうでもないと深く建築からドイツのことを考えられたのは楽しかったです。ドイツにも日本にも良いところがあって、もっと価値観を共有出来たらいいなとも考えました。今日もライプチヒは綺麗な街並みと歩きづらい石畳があるのだ、ということはそのまま、私にとって世界が日本以外にもあって広い、ということです。人間としてひとつ大きくなれたと今回の海外実習を通して感じます。
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