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- 2013 Oct Vol.61


高校生の時に、自転車で和歌山一周と近畿一周を達成した石田さんは、入学当初から、在学中の日本一周を目指していたそうです。「入学して早々に休学制度について調べていました(笑)。休学を見込んで、単位は3年間で取り切ると決め、計画的に履修しながら1年の全てを準備に費やしました」。2年次には計画通り、念願の日本一周へ。湧き上がる情熱を注ぎ込んで走った旅は、多くの人やドラマとの出会いにあふれる素晴らしいものでした。しかし、ゴールが近づくにつれ、虚しさを感じ始めたそうです。「一番の目標がなくなるのが寂しかった。ですがその時、日本だけではなく、まだ世界が残っていると気付いたんです」。卒業後は大手企業に就職し、営業職として働きながら、世界という夢に向けて準備を始めた石田さん。2年で資金や装備を用意し、3年目には毎週図書館に通い、世界各地の歴史や見所を調べました。「当時はスマホなんてなかったので、自分の頭と地図が頼りでした。行きたい所を見つけたら地図に印を付ける。それが、旅のルートになりました」。夢へ近づく日々のなか、期待と共に不安も募ったと石田さんは振り返ります。「現実感が増すにつれて、本当にやるのか? と自問自答しました。自分の人生を自分で壊してしまうのでは、という不安に襲われました」。悩みながらも、「有言実行」の信念に支えられ、退職を決意。95年の7月、空港で60人以上の友人に見送られ、「自分の走った轍で世界地図を描く」という目標を胸に、一路アラスカへ向かいました。「空港ではヒーローになった気分でした。でも、飛行機の窓の下に広がる黒い森を見た瞬間、怖くて、早くも後悔しましたね」。周辺は日常的に熊の被害が出る地域。恐怖で出発できなかったという石田さんは、4日目に覚悟を決めて最初の街を出発しました。40sを超える荷物を積んだ自転車は風にあおられる度にふらつき、先が思いやられたそうです。
しばらくは後悔の連続だったという石田さんの心境を変えたのは、自然の力でした。「深い森の中では、木漏れ日が緑色に輝くんです。その光を受けた自分の体も緑に染まって、そのまま自然に溶けていくようで。ペダルをこぐと世界が後ろに流れていき、自分の核だけが残って前に進んでいくような、前向きな力を感じました」。その時ふと、諦めかけていた小説家への夢も蘇ったそうです。「旅を自分の肥やしにしたいという思いは出発前からありましたが、書くことを仕事にしようとは思っていませんでした。この時、今まで何故挑戦しなかったんだろう、と思ったんです」。そして石田さんは、その後の数々の貴重な体験を心に蓄えていきました。ユーコン川の一部にあたる360kmを10日間かけてカヌーで下りながら体験した、静謐な世界。オーロラが爆発するように光る「ブレイクアップ現象」を見て、涙したこと。アイルランドで出会った義足の日本人女性と城跡を巡り、彼女の生き方に「ハンディキャップにとらわれない自由」を感じたこと。ペルーでは強盗に遭い、全財産を失うという危機的状況も経験されました。そんな中ヒッチハイクしたトラックの荷台で見た、夕陽でピンク色に染まる砂漠の風景が、特に強く印象に残っていると石田さんは振り返ります。「当てつけかと思うほど、きれいでした。喪失感のなかで、それでも"生きてるんやな"と、自分の命の存在を際だって感じた瞬間でした。生きているからには、これから何でもできる。自分の可能性の広がりを感じました」。現在、石田さんは、世界で感じた「前に進み続けるエネルギー」を多くの人に伝えるため、紀行文の執筆や講演会など多彩に活動されています。そんな石田さんにとって、旅とは目的ではなく手段だと語ります。「大学の時に気付いたのですが、旅が自分を変えてくれるのではない。目的を持って探しにいくからこそ、自分を変えるきっかけが見つかるんです」。常に、出会いたいものへ向かって、自分の足で進んできた石田さん。挑戦するたびに、次々と新しい夢を見つけてきたその目は、小説家というさらなる挑戦へと向けられています。