【経済学部】講談で学ぶ日本経済史—五代友厚編—

2024.02.07

経済学部の専門教育科目「日本経済史B」(担当:井奥 成彦 非常勤講師)で、上方講談師の玉田 玉秀斎 氏による講談授業が行われました。
この「日本経済史B」は経済発展を遂げた近代日本の経済、各産業の健闘、企業経営者の知恵と努力等を多角的に見ていく授業です。今回は歴史的事実を踏まえたインパクトのある講談で語ってもらうことによって、近代の日本経済について、印象を深められる講義となりました。

(学生ライター 国際関係学部 4年次 佐藤 美宇)

(上方講談師 玉田 玉秀斎 氏)
玉田氏によると、講談とは張り扇や拍子木でリズムを取りながら話をする日本の伝統話芸であり、落語や漫談とよく間違われるが別のものとのことです。今回は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した実業家、五代 友厚(ごだい ともあつ)の生涯について語られました。
 
五代友厚は、薩摩藩出身の武士です。青年期の彼は、薩摩藩が薩英戦争でイギリスに負けたことを機に、国力の差を痛感し、イギリスをはじめヨーロッパを巡歴しました。日本に帰国後、薩摩藩を拡大するために貿易の拠点であった長崎県に日本初の西洋式ドック、小菅修船場を設置、学生をイギリス留学に連れて行くなどし、イギリスとの国力の差を縮めようと励んでいました。
五代によって国力向上の取り組みが行われている最中、明治維新が起きました。開国したことにより世界と関わっていく必要があったため、日本政府は、欧州巡歴経験のある五代友厚を大阪府の税関長に任命しました。そこで五代は、法律に基づいて厳格な税関調査を行ったことにより、各貿易会社から反感を買ったことから横浜への左遷を命じられました。しかし、大阪の商人たちが横浜に行くことを引き止めました。迷った末に、五代は大阪を復興させるために、職を辞し事業家として大阪に残る決断をしました。その後、五代は、大阪商工会議所、大阪証券取引所、大阪商業講習所(現大阪公立大学)といった、大阪の経済力を高める施設の建設に貢献しました。五代が創立に関わった会社の数は、約200社と言われています。最終的には、戸籍を薩摩から大阪に移し、大阪人として生涯を終えました。
 
玉田氏の講談は、まるで目の前に五代友厚がよみがえっているような感覚でした。受講生も玉田氏の講談を真剣に聞き入っており、講談終了後にはあふれんばかりの拍手が聞こえてきました。私自身、歴史に苦手意識がありましたが、リズムよく演劇のようにその人の生涯を学ぶことができた興味深い授業でした。
(講談をしている玉田氏①)
(講談をしている玉田氏②)
(真剣に講談を聞く受講生)
(講義を担当している井奥 成彦 非常勤講師)
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