【文化学部】演劇から比較文化について学ぼう!~ジャポニスムとは~
2022.06.30

文化学部の専門教育科目「舞台芸術文化論」(担当:田中 里奈助教)は、「今日の音楽劇はどう変化しつつあるのか?」「私たちにとって、その変化にはどういう意味があるか?」という2つの問いを、古今東西のオペラやミュージカルなどを取り上げながら、舞台芸術と社会の関係を軸にして追究していく授業です。
今回は大阪大学大学院文学研究科の柏木 純子氏をゲストにお迎えし、ヨーロッパにおけるジャポニスムについて講義していただきました。
今回は大阪大学大学院文学研究科の柏木 純子氏をゲストにお迎えし、ヨーロッパにおけるジャポニスムについて講義していただきました。
(学生ライター 法学部3年次 竹嶋 宣輝)

柏木氏は、演劇に関する教育の中でも特に19~20世紀のフランス演劇史を専門に研究されており、舞台公演の出演やプロデュースなど演劇に携わる仕事もされています。
「ジャポニスム」は、日本文化が近代ヨーロッパにおいて受容されたことから始まり、後に美術史から発掘された概念です。研究対象として日が浅く、研究者の中でもその定義は異なります。
例えばラカンブルによる定義では、ジャポニスムとは「折衷主義の考え方をもとに、日本の各時代の装飾品を用い、日本の情緒や自然主義的な要素を抽出し、その要素や技法を模倣し、さらに日本の作品にみられる原理と方法を分析・応用すること」を意味します。すなわち、ジャポニスムとは固定された何かを指すのではなく、芸術制作における「態度」を指します。ただし、ここで紹介された定義もあくまでも解釈の1つだということに注意が必要です。
柏木氏からは、ジャポニスムの定義を確認したあと、海外の作品や制作当時の状況、歴史的意義について説明がありました。日本文化がヨーロッパで大きな注目を集めたのはパリ万国博覧会でしたが、それ以前にも17世紀中頃から東インド会社により日本の美術などのヨーロッパへの輸入が増加しており、ザビエルによる日本でのキリスト教の布教やキリシタン大名を題材とした芝居やオペラが西洋諸国で上演されていました。
パリ万国博覧会では、植民地を支配する側の列強諸国が各々の文化を紹介するという側面があり、日本文化に関するものも数多く展示されていました。その中には派遣された芸者もおり、彼女たちは芸者の生活を会場で「展示」しました。
これを見学した海外の作家や演劇人たちは、芸者をモチーフとした異国情緒あふれる作品を次々と発表していきます。当初は想像上の日本人をモチーフにした作品が発表されました。例えば、フィリップ・ジルの『イェッダ』(1878年、フランス)では日本が舞台ですが、ストリップショーのように胸も露わな衣装が使われています。
「ジャポニスム」は、日本文化が近代ヨーロッパにおいて受容されたことから始まり、後に美術史から発掘された概念です。研究対象として日が浅く、研究者の中でもその定義は異なります。
例えばラカンブルによる定義では、ジャポニスムとは「折衷主義の考え方をもとに、日本の各時代の装飾品を用い、日本の情緒や自然主義的な要素を抽出し、その要素や技法を模倣し、さらに日本の作品にみられる原理と方法を分析・応用すること」を意味します。すなわち、ジャポニスムとは固定された何かを指すのではなく、芸術制作における「態度」を指します。ただし、ここで紹介された定義もあくまでも解釈の1つだということに注意が必要です。
柏木氏からは、ジャポニスムの定義を確認したあと、海外の作品や制作当時の状況、歴史的意義について説明がありました。日本文化がヨーロッパで大きな注目を集めたのはパリ万国博覧会でしたが、それ以前にも17世紀中頃から東インド会社により日本の美術などのヨーロッパへの輸入が増加しており、ザビエルによる日本でのキリスト教の布教やキリシタン大名を題材とした芝居やオペラが西洋諸国で上演されていました。
パリ万国博覧会では、植民地を支配する側の列強諸国が各々の文化を紹介するという側面があり、日本文化に関するものも数多く展示されていました。その中には派遣された芸者もおり、彼女たちは芸者の生活を会場で「展示」しました。
これを見学した海外の作家や演劇人たちは、芸者をモチーフとした異国情緒あふれる作品を次々と発表していきます。当初は想像上の日本人をモチーフにした作品が発表されました。例えば、フィリップ・ジルの『イェッダ』(1878年、フランス)では日本が舞台ですが、ストリップショーのように胸も露わな衣装が使われています。

ヨーロッパにおける日本文化の研究が進むと、植民地的思想から脱却を試みる流れも登場します。オペラ『蝶々夫人』の元になった小説『お菊さん』(1885)では、日本人女性を卑下した作品だったために、欧米の日本文化研究家たちから批判を受けました。しかし、オペラ『蝶々夫人』は度重なる改訂を経て、新たな女性の生き方に焦点を当てる内容に変化していきました。
他にも日本文化を詳細に再現・アレンジした作品もみられました。歌舞伎を例に挙げると、当時の海外では、その公演を自国で見ることは難しい状況にあり、限られた資料を基に日本の文化を再現していく必要がありました。ポール・アンテルム『日本の名誉』では、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』とその浮世絵をもとに演劇の内容を作り上げ、空想・偏見を多分に含んだ日本文化ではなく、より忠実かつ現実的な日本文化を再現しようとする試みが行われました。
他にも日本文化を詳細に再現・アレンジした作品もみられました。歌舞伎を例に挙げると、当時の海外では、その公演を自国で見ることは難しい状況にあり、限られた資料を基に日本の文化を再現していく必要がありました。ポール・アンテルム『日本の名誉』では、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』とその浮世絵をもとに演劇の内容を作り上げ、空想・偏見を多分に含んだ日本文化ではなく、より忠実かつ現実的な日本文化を再現しようとする試みが行われました。
第二次世界大戦後は、GHQ(連合国軍最高指令室総司令部)によって、戦中の思想教育と結びついた日本の伝統芸能は海外との交流を一時的に絶たれます。しかし、それが解かれるとジャポニスムは欧米の舞台芸術に再び影響を与え始めました。日本の人形浄瑠璃を見たジュリー・テイモアは、ミュージカル『ライオンキング』の中に、人形による演技を取り入れました。また、人形遣いと人形をいずれも人間が演じるアリアーヌ・ムヌーシュキンによる実験的な演劇も制作されるようになりました。舞台芸術におけるジャポニスムは今も進化を遂げています。
今回の取材を通して、舞台芸術について深く学ぶことができました。また、ジャポニスムをめぐる定義の解釈は、法律学における条文の解釈や、裁判例に対して様々な立場から見解を示す学説に似ていると感じました。