【外国語学部】留学体験記が届きました(吉田 塁さん ドイツ・ライプチヒ大学附属国際語学協会)
2025.04.28
はじめに
2024年10月から2025年1月までの4か月間、私はドイツのライプチヒ大学附属国際語学協会に留学しました。以前フライブルクの海外実習に参加しましたが、三週間では飽き足らず、次は長期間、さらには東へ行きたいと思いました。東を選んだ理由は、当時かつての東ドイツに興味を持っていたからです。今回の留学の目的として語学力向上は当然ですが、もう一つは旧東ドイツについての資料を集めて持ち帰ることでした。旧東ドイツを扱う博物館を訪れたり、それらしき建物やオブジェの写真を撮ったり、当時に関する本や物を買い漁ったりと、まるでスパイのように資料を集めていました。そのような留学生活でしたが、実は初日からトラブルに見舞われました。

初日のトラブル
フランクフルト国際空港に到着後、ライプチヒまでICEという列車で移動する予定でした。フライブルクでの海外実習でICEに乗ったことがある私は、たかが遅延でパニックになることはないだろうと高を括っていました。しかし案の定列車は遅延しました。さらにはその影響で予約していたもう一つの列車に乗り換えができないことも確定しました。やはり大いに慌てふためきました。せっかく座席指定までして購入した、決して安くはないチケットが無駄になるだけではなく、その日中にライプチヒへたどり着けるかもわからない状況でした。そのような中、アプリに従い、インフォメーションセンター「Reisezentrum」に駆け込み、事情を説明しました。事情を理解した職員さんが別の列車を手配してくれ、なんとかICEの問題が解決しました。あの人はある意味私の命の恩人です。(本当の意味での命の恩人は別にいます。)
ライプチヒでの生活

留学先のライプチヒは歴史ある街だと聞いていたとおり、実際に歩いてみると、確かに第二次世界大戦以前の歴史を感じる建物をたくさん見つけられました。特にクリスマスマーケットが開かれるMarkt駅周辺に多く見られました。これはこれで可愛くて好みですが、学生寮とその周辺や通学路に建っていた東側を彷彿とさせる建物も気に入りました。
また、ライプチヒは自由と民主主義を求めた大衆運動「月曜デモ」が行われた街であり、毎年10月9日にはデモの記念行事であるLichtfest(リヒトフェスト)が開催されます。私も友人達とフェスに参加し、会場を歩き回りました。フェスで一番印象に残ったことは、オラフ・ショルツ首相(当時)が出席していたことです。
元々単独行動が多い私ですが、今回の留学では複数の友達ができました。彼らとは放課後のランチを共にしたり、一緒にドレスデンへ出掛けたりしました。それからクリスマスマーケットでのトラブルでも彼らは私を助けてくれました。時々英語が混ざった拙いドイツ語でのコミュニケーションでしたが、互いの秘密や失敗エピソードを語れて楽しかったです。細かい文法や単語の間違いは多少あったものの、そもそも自分達は外国語としてのドイツ語(DaF)を学んでいるため「間違えは当たり前」というスタンスで会話していました。これは授業の時でも変わらず、話せば話すほど文法や単語が頭に入りやすく、ドイツ語が上達しました。
また、ライプチヒは自由と民主主義を求めた大衆運動「月曜デモ」が行われた街であり、毎年10月9日にはデモの記念行事であるLichtfest(リヒトフェスト)が開催されます。私も友人達とフェスに参加し、会場を歩き回りました。フェスで一番印象に残ったことは、オラフ・ショルツ首相(当時)が出席していたことです。
元々単独行動が多い私ですが、今回の留学では複数の友達ができました。彼らとは放課後のランチを共にしたり、一緒にドレスデンへ出掛けたりしました。それからクリスマスマーケットでのトラブルでも彼らは私を助けてくれました。時々英語が混ざった拙いドイツ語でのコミュニケーションでしたが、互いの秘密や失敗エピソードを語れて楽しかったです。細かい文法や単語の間違いは多少あったものの、そもそも自分達は外国語としてのドイツ語(DaF)を学んでいるため「間違えは当たり前」というスタンスで会話していました。これは授業の時でも変わらず、話せば話すほど文法や単語が頭に入りやすく、ドイツ語が上達しました。
クリスマスマーケットとトラブル

11月下旬から12月23日までの間、ドイツ全土でクリスマスマーケットが開催されました。ライプチヒでもクリスマスマーケットが開かれ、私はクラスメイトとともに初日から楽しむつもりでした。途中クラスの先生とバッタリ会い、そこからクラス全員でクリスマスマーケットを周りました。そんな中、ほとんどのクラスメイトがGlühwein(ホットワイン)を美味しそうに飲んでいたため、自分も飲みたくなり、それを買ってしまいました。結論から言うと、これがトラブルの原因でした。Glühweinを飲み干した後しばらく歩いていると、足元がふらつき、意識もぼんやりしてきました。この時は「これがあのほろ酔いというものか」と楽観視していました。ところが、スマホでクリスマスツリーの動画を撮っている時、突然呼吸が苦しくなり、自力で立てなくなりました。それからめまいがして、視界が暗くなり、一時的に何も見えなくなりました。耳鳴りと手の麻痺も発生し、しばらくは何もできない状態でした。先生とクラスメイトが応急処置を施してくれたおかげで、なんとか意識は持っていかれずにすみました。救護室で点滴を打たれましたが、容態は悪化し、救急車で病院へ運ばれました。この時視力と聴力は元に戻りましたが、全身の震えと冷えが追加されました。しばらくベッドで眠り、目が覚めると体は完全に回復していました。診断書によると、空腹・水分不足での飲酒とストレスが原因でしたが、元々下戸な体質が合わさってさらに悪化したのでしょう。私が倒れている間、クラスメイトの一人が私の友人に知らせてくれて、彼らの一人が私にモバイルバッテリーを貸し出してくれました。おかげでスマホの充電が空になることはなく、症状を全て記録できました。

とはいえクリスマスマーケット自体は楽しみました。後日ホットチョコレートを飲みながら会場を周りました。そのほかにもドレスデン、ケムニッツ、ベルリンといったライプチヒ以外の街で開かれたクリスマスマーケットにも行きました。ベルリンの赤の市庁舎の会場ではWeihnachtsmann(ドイツのサンタクロース)がそりに乗ってやって来ました。小さい子が彼に言った「Bis morgen, Weihnachtsmann!(また明日、サンタさん!)」は今も覚えています。
旧東ドイツ
旧東ドイツ巡りも留学の思い出です。見たいもの全部が見られたわけではないのですが、私が見たものはどれも印象深いものでした。旧東ドイツの成り立ちから消滅までの歴史、秘密警察シュタージの活動、国民の生活、西側への脱出、抵抗運動など旧東ドイツにまつわる博物館の展示はとても興味深く、またいつか訪れたいと思いました。特にシュタージの盗聴体験は、盗聴された声が意外とはっきり聞こえて怖かったです。それから国境に埋められていた地雷の展示品も怖かったです。本音を言えば、ベルリンの壁とベルリンのシュタージ博物館、チェックポイントチャーリー博物館にも行けばよかったと後悔しています。
資料集めとして旧東ドイツに関する本を何冊も買いました。これが慢性的な金欠の原因の一つになったのですが、後悔はありません。むしろもっと買いたかったです。本のほかにもベルリンの壁の一部や、旧東ドイツ軍の放出品を自分用のお土産として買いました。一昔前まで旧東ドイツ軍の放出品は安く手に入りやすかったようですが、現在は高騰しているそうです。そのような中、私はとある店で比較的リーズナブルな価格で購入できました。そこのオーナーさんはとても親切で、サイズ調整から細かい勲章の解説までしてくれました。さらには動画撮影を許可してくれた上で肩章・襟章の付け方も教えてくれました。帰り際に「あなたのドイツ語は上手だよ」と言われ、留学して良かったなと心の底から思いました。
資料集めとして旧東ドイツに関する本を何冊も買いました。これが慢性的な金欠の原因の一つになったのですが、後悔はありません。むしろもっと買いたかったです。本のほかにもベルリンの壁の一部や、旧東ドイツ軍の放出品を自分用のお土産として買いました。一昔前まで旧東ドイツ軍の放出品は安く手に入りやすかったようですが、現在は高騰しているそうです。そのような中、私はとある店で比較的リーズナブルな価格で購入できました。そこのオーナーさんはとても親切で、サイズ調整から細かい勲章の解説までしてくれました。さらには動画撮影を許可してくれた上で肩章・襟章の付け方も教えてくれました。帰り際に「あなたのドイツ語は上手だよ」と言われ、留学して良かったなと心の底から思いました。


最後に
トラブルもあった留学生活でしたが、それよりも楽しかったという感情が勝っています。正直に言うとあと2か月はドイツにいたかったです。今でも現地で出会った友人らが恋しいと思うこともあります。しかし今回は現地で出会った友人らと連絡先を交換し、いつでも彼らの近況を知ることができます。その気になればメッセージを送ることだってできますし、寂しいと思うことは今のところありません。
余談ですが、別送品として日本に送った黄色い段ボールが案の定ボロボロになった姿で現れました。問題は段ボールの損傷ではなく、お土産として買ったベルリンの壁がズタズタになっていたことです。私がきちんと包装していなかったのが悪いのかどうかはわかりません。それを知人に話したところ、「また壁が崩壊したね」と返ってきました。
余談ですが、別送品として日本に送った黄色い段ボールが案の定ボロボロになった姿で現れました。問題は段ボールの損傷ではなく、お土産として買ったベルリンの壁がズタズタになっていたことです。私がきちんと包装していなかったのが悪いのかどうかはわかりません。それを知人に話したところ、「また壁が崩壊したね」と返ってきました。