【外国語学部】「留学体験記」亀山 さくらさん

2024.05.24

私はこの海外実習を通して、言語を習得することの重要さを実感しました。
フライブルク大学に通う学生。銅像の横まで登り、パソコンを見ながら自由な時間を過ごしていた。大学の近くでキャベツが配布されていた。

日本にいるときは、海外の方と交流する機会があっても多少の言葉が使えたら十分だったし、ニコニコと笑顔でいたり、ジェスチャーを使ったりして交流できることが嬉しいと思えていました。しかしドイツにいってみて、やはり言葉が通じ合うことは非常に重要なのだと再認識しました。
例えば授業の時、先生に聞きたいことが沢山あってもスムーズな会話を行うことは私にとって難しいことでした。わからないことがあったら英語で質問をしていましたが、ドイツ語以前に英語も自信を持って話すことはできないので、上手く話せず、聞きたいことが聞けない時もありました。簡単な交流や挨拶では言語がなくても人と人は繋がれます。しかし、仲を深めていくには言語は必須でした。そのため、相手の話したドイツ語が聞き取れたり自分の伝えたいことが相手に伝わったりした時の喜びはとても大きいです。
京都産業大学で学習してきたドイツ語の知識や英語の知識を用いれば、コミュニケーションはとても簡単に行えるのです。私があまり話せないだけで、学習してきたことを振り返れば日常生活で沢山役に立つと気付きました。私の拙い言語能力でも、先生に質問する時やレストランで食事をする時、寮生活を行う時に外国人の方々と通じ合うことができたのです。
寮生活中、洗濯をする時にわからないことがあり、外国の方に尋ねました。どうにかコミュニケーションをとれたから、普段使い慣れていない洗濯機でも間違えずに使えました。他にも、印刷をしたいけれども印刷するために必要なものが手元になかった時、外国の方と会話ができたから助けてもらうことができました。人と関わることにおいて言葉はやはり武器になるのです。その重要性を再確認できて良かったです。

生きていく中で知らないことが沢山あって、それを尋ねたい時だけでなく、誰かと喜びを分かち合いたい時でも、その対象者が多ければ多いほどきっと喜びも増すでしょう。これからも学びを続けて少しでも日常生活で会話ができるように頑張りたいと思いました。

大学のすぐ近くにあるフリースペースのような場所。ここで何度もシャボン玉で遊ぶ人々を見た。大きくて綺麗なシャボン玉を、帰り道に見る時間が凄く好きだった。

そして、世の中には沢山美しい世界があることを知りました。
今回の留学先、フライブルクはあまり大きな街ではないようですが、美しい景色や自由を象徴するようなカラフルな建物で広がっていました。街にはシャボン玉をいっぱい飛ばしてはしゃいでいる子供達や、道端で大きな声で喜び合っている大人の姿、日本では迷惑行為になりそうなことであったとしてもこの街では認められそうなことも沢山あるだろうし、許されることの方が多いような気がしました。
服装も自由そのもので、みんな違うお洒落をしていてみんな個性的に思えました。日本は良い意味でも悪い意味でも固く神経質であり、ルールを守ることを第一に考えて行動をします。ドイツで道を歩いていると信号を守らない人もよく見かけ、車や路面電車も歩行者優先では無さそうです。それでいて事故が起きている場面は1度も私は目にしませんでした。
ヨーロッパはスリも多いし荷物の管理も慎重に行わなくてはなりません。それでも当然のように生き生きと生活している人々の姿があります。何でも起こり得る世界だからこそ、自由に形に囚われず自分の責任で生きている人々に私はたくさん刺激をもらいました。
私も次にヨーロッパにいく時は、柔軟で自分らしさいっぱいの私で行きたいです。

この留学を通して、私は自分がどのような姿になりたくて自分に何が欠けているか再認識できました。とても良い経験をすることができて良かったです。

フライブルクの街を散策している中で撮ったお気に入りの写真。カラフルな建物と美しい街並みには色鮮やかなお花をたくさん見ることがあった。
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