京都文化学科 石川 登志雄 教授と下出 祐太郎 教授が、大覚寺 嵯峨天皇宸翰勅封般若心経(さがてんのうしんかんちょくふうはんにゃしんぎょう)の復元制作に携わる

2018.10.15

1200年前の平安時代、都で大飢饉による疫病が流行りました。
時の天皇であった嵯峨天皇は、弘法大師の勧めにより、精進潔斎して一字三礼を繰り返しながら般若心経を紺色に染められた綾絹に金泥で丁寧に写経されて、勅封(封印)として大覚寺に奉安し、国民の安泰を心から願われました。 
奉安された年が818(弘仁9)年の戊戌(つちのえ・いぬ、ぼじゅつ)の年であり、以来60年に一度、大覚寺では、その写経(勅封心経)を開封し、天下泰平をお祈りすることが最大の伝統儀式となっています。それから1200年の歳月を経た今年の10月1日から11月30日までの期間、「戊戌開封法会」として、嵯峨天皇をはじめ、後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇、正親町天皇、光格天皇の勅封般若心経が開封され、特別に参拝できます。
復元された般若心経
嵯峨天皇宸翰般若心経は、写経されてから1200年が経過し、また歴代天皇の病気の折には、この心経の文字の金泥を少量削り取って気付け薬として飲まれたという言い伝えもあって、今では見返し絵や文字が薄れて見づらくなっています。
大覚寺では、少しでもよく文字が見える今のうちに、現在の最高最善の技術で忠実に復元して本物とともに保存しておきたいという願いのもとに、2017(平成29)年4月から1年9か月をかけて、般若心経とその黒漆塗螺鈿経箱(くろうるしぬりらでんきょうばこ)の復元事業を実施し、京都文化学科の石川 登志雄 教授・下出 祐太郎 教授がこれに協力しました。
復元された黒漆塗螺鈿経箱

石川 教授は、製作顧問として復元事業全体の企画・進行の統轄を行い、下出 教授が黒漆塗螺鈿経箱の忠実な復元制作を担当し、般若心経の復元制作は、書写を文化財模写の第一人者 富澤 千砂子氏、綾裂織を染織品修理の矢野 俊昭氏、経典や経箱の金具を松田 聖氏、紺色染色を藍染の森 芳範氏、最後に表具を文化財修理の第一人者 岡墨光堂が担当し、当代最高の技術者を結集して見事に完成しました。

この復元された般若心経と黒漆塗螺鈿経箱は、「戊戌開封法会」の期間中、嵯峨天皇を始めとする6人の天皇の宸筆とともに、大覚寺で観覧することが出来ます。
大覚寺「戊戌開封法会」の案内は下記のホームページをご覧ください。

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