外交と通訳 2025.03.07

大統領同士の口論

2025年2月28日に行われたトランプ米大統領とウクライナのゼレンスキー大統領の会談は、歴史上稀に見る外交の失敗となった。ゼレンスキー大統領は、この首脳会談でトランプ大統領にウクライナの立場を説明し、アメリカのウクライナへの軍事支援を継続してもらわなくてはならなかった。会談開始後40分間はなごやかに進んだのだが、最後の約10分でロシアへの対応を巡る問題から二人の大統領は言い合いとなり、その姿は前に並んだカメラから全世界に伝えられた。会談は決裂し、3月3日にトランプ大統領はウクライナへの武器供与の一時停止を指示した。ゼレンスキー大統領の訪米は、目的とは逆の結果を招いてしまった。

通訳の不在

今回の会談の失敗の一因として、通訳を手配せず、両大統領が直接会話したことが指摘されている ※1。通常の首脳会談では、両首脳の母語が同じである場合を除き、通訳者がそれぞれ首脳の後ろに控えている。母語でない言語による会談において、わずかなニュアンスであっても誤解が生じてはならず、また国を代表する首脳の発言は極めて重く、発する言葉の一つ一つに注意が必要だからである。また、発言ごとに通訳が入ることで一旦会話が途切れるため、冷静に返答を考えることができるという利点も指摘されている。

ゼレンスキー大統領の思惑

ゼレンスキー大統領は、ウクライナ東部出身で、ロシア語を母語として育っている。ウクライナ人に対してはウクライナ語を用いて演説などを行っているが、ウクライナ語は大統領になってから特訓して身につけたものだという。
ゼレンスキー大統領はこれまで、英語圏では英語で、ロシア人にはロシア語で、と、相手側の言語に合わせてスピーチを行うことが多く、それによって自身の支持を広げてきた。今回も同様に、アメリカでの会談で、英語で自身の考えを直接訴えることで、米国民の理解と支持を得やすいと判断したのであろう。 しかし実際にはそうならなかった。トランプ大統領とバンス副大統領は、ウクライナの状況を説明しようとするゼレンスキー大統領に対し、アメリカへの感謝と敬意が欠落していると激しく反発した。もし、ここに優秀な通訳者が介在していたら、ゼレンスキー大統領の発言の意図をくみ、かつトランプ大統領の気を悪くしない表現で伝えることができたのかもしれない。

通訳者の貢献:石破トランプ会談

通訳が果たした役割が高く評価されていたのが、2月7日に行われた石破茂首相とトランプ米大統領による首脳会談である。日本の外務省の高尾直氏が通訳をつとめ、独特の言い回しから「石破構文」と言われる石破首相の言葉をたくみにトランプ大統領に伝えた。単語選びにも気を配り、たとえば石破首相がトランプ氏が大統領に「再び就任」したと述べた部分を、高尾氏は「victory and your come-back(勝利とカムバック)」と、トランプ大統領にとってより好ましい言葉を用いて伝えている ※2。このような配慮がもしゼレンスキー大統領の通訳者によってなされていたら、会談の決裂を招くような結果にはならなかったかもしれない。

訳語がもたらした危機:日中国交正常化

しかし、通訳がいれば万全というわけでもない。約半世紀前の例になるが、1972年の日中国交正常化に際しては、たったひとつの訳語が大きな問題となった。
田中角栄首相が訪中初日の歓迎の晩餐会でスピーチを行った際、かつての日中戦争を念頭に、「わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて,私はあらためて深い反省の念を表明するものであります」と述べた ※3。ところがこの「ご迷惑」が、日本の外務省の用意した訳文で「麻煩(マーファン)」という中国語に通訳された。「麻煩」は、「迷惑」の訳語としては間違いではない。ただ、ニュアンスが軽い。面倒、煩わしさ、といった意味で使われることも多く、重いお詫びの意味を含む言葉ではない。そのため、田中首相の発言が「麻煩」と訳された瞬間、会場の拍手が途絶え、中国側出席者から笑顔が消えたという ※4
日本は戦争により多大な被害を中国に与えながら、このような軽い言葉で扱うのか。中国側は強く反発した。日中国交正常化には、台湾との関係など解決すべき大きな問題がいくつもあった。交渉の最後に出すことになる日中共同声明を作成する際にも、日中戦争の被害について言及する必要がある。そこでも「ご迷惑」と表現するわけにはいかない。ではどうすればよいのか。
日本の大平正芳外相は、一計を案じ、歓迎行事の一環で万里の長城見学に向かう際に、急遽中国の姫鵬飛外相の車に同乗し、中国側通訳の周斌氏のみをはさんで臨時の車中会談を行った。大平外相は、自分が中国で実際に見てきた戦争は、明らかに中国に対する侵略戦争であり弁解の余地はないと思っている、しかし中国側の要求をすべて共同声明に書くことは日本政府の立場として無理であることを理解してほしい、と真摯に訴えた ※5
そして大平外相は、最終的に自ら文言の案を考えて中国側に示した。調印式前日の深夜のことであった。その案は、最終的にほぼそのまま共同宣言に書き込まれた。共同宣言には、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と、「損害」という言葉が選択された ※6

外交と言葉、その先に

私の担当している「東アジア論」の授業では、日中関係についての回で必ずこの「麻煩」をめぐる問題について詳しく取り上げる。車中会談に同乗し、日中国交正常化交渉の生き証人となった通訳者の周斌氏が、温かく深みのある日本語で当時の難交渉の様子を語っている動画も見せる。学生たちに、国家間の交渉におけるたった一言の重要性を認識すること、淡々として見える外交文書の一文一文、一語一語には、交渉に関わった人々の真剣な思考と話し合いの結果が込められていることを理解してほしいと思っているからだ。
そして、この交渉でさらに重要なのは、日本側と中国側が国交を正常化させ、今後の日中関係をスタートさせるのだという強い意思を共に持っていたことだ。つまり目標が共有されていた。そのため、難題が山積みの上に「麻煩」がさらに追い打ちをかけるような状態になっても、最終的に互いにとって納得のいく、少なくとも両国民を納得させることができる形で共同宣言をまとめるところまで粘り強く持っていくことができた。先に述べた石破茂首相とトランプ米大統領による首脳会談においても、両国の関係を悪化させないというビジョンは共有されていた。
ゼレンスキー大統領とトランプ大統領の会談に戻って考えてみると、彼らにはこの目標の共有がなかったと言えるだろう。ゼレンスキー大統領にとっての目標は、アメリカによるウクライナへの軍事支援の継続、ひいてはロシアの再侵攻を防ぐためのアメリカによる安全の保証にあったが、トランプ大統領にとってはそうではなく、ウクライナ国内の鉱物資源の権益をめぐる合意と政権の成果としての停戦のほうに重点があった。つまり、そもそも着地点が見えないまま行われた会談であったのだ。
ゼレンスキー大統領は、訪米のあとに訪れたイギリスでは、ウクライナ語だけを使って発言していた。通訳の重要性を認識してのこととも考えられる。リスク回避の意味では正しい選択であるが、問題の本質はそもそも両国が共通する目標を見出し得なかったことにあるように思われる。今後、ウクライナとアメリカが関係修復に動くことが予想されるが、その際にウクライナとロシアの「停戦」を共通の目標とし、ウクライナもアメリカも納得のいく形で文章化することができるかどうか、注目していく必要があるだろう。


  1. 「ゼレンスキー氏、通訳なし会談が招いた悪夢 口論防げず」『日本経済新聞電子版』2025年3月2日
  2. 「「石破構文」はトランプ氏に刺さったか 通訳表現を分析」『日本経済新聞電子版』2025年2月12日
  3. 「周恩来総理主催招宴における田中内閣総理大臣挨拶」1972年9月25日(データベース「世界と日本」)
  4. 「(検証 昭和報道:205)文革と日中復交:8 「迷惑」発言の波紋」『朝日新聞』2010年2月9日夕刊。
  5. 周斌(著)、加藤千洋・鹿雪瑩 (訳)『私は中国の指導者の通訳だった——中日外交 最後の証言』(岩波書店、2015年)102-103ページ。
  6. 外務省「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(1972年9月29日) 

須藤 瑞代 准教授

中国近現代史、東アジア国際関係論

PAGE TOP