過去の紀要
第23巻
講演 | ||
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フランスの反アメリカニズム:歴史的な展開 | フィリップ・ロジェ | (1) |
論文 | ||
イタリアの反アメリカニズム:国民意識の問題として | ヴルピッタ・ロマノ | (35) |
帝国支配のかたち:現代アメリカと大英帝国 | 木村 雅昭 | (105) |
ハート/ネグリの『帝国』とアメリカニズム | 植村 和秀 | (129) |
トーマス・マンとアメリカ | 髙山 秀三 | (143) |
研究ノート | ||
現代ロシアにおける反アメリカニズム:A.パナーリンのグローバリズム批判をめぐって | 広岡 正久 | (165) |
現代ドイツにおけるアメリカニズムの受容:カール・ハインツ・ボーラーによるドイツ政治文化批評 | 川合 全弘 | (181) |
慣習国際人道法を巡る米国と赤十字国際委員会との解釈の対立 | 岩 本誠吾 | (197) |
資料 | ||
戦争の道徳的正当化に関する期待はずれの対話 | M. フーブリヒト | (217) |
第22巻
特集:京都産業大学世界問題研究所主催 京都産業大学創立40周年記念シンポジウム 「アメリカニズムとヨーロッパ:西洋文明の岐路と東アジアの将来」
挨拶 | ||
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所長挨拶 | ヴルピッタ・ロマノ | (3) |
学長挨拶 | 坂井 東洋男 | (5) |
講演 | ||
アメリカニズムとヨーロッパ:西洋の分裂と東アジアの未来 | ハウケ・ブルンクホルスト | (7) |
アメリカニズムと反アメリカニズム:ヨーロッパの立場 | マッシモ・フィニ | (27) |
閉会の言葉 | M. フーブリヒト | (43) |
パネル・ディスカッション | ||
世界市場におけるアメリカニズム | ブラッドリー・K・エドミスター | (47) |
「共通価値観」から「東アジア共通価値観」へ | 朱 建栄 | (55) |
2つの報告を聞いて | 三島 憲一 | (59) |
韓国ならびに東アジアからの視点 | 宋 錫源 | (65) |
アメリカ主導のグローバリゼーションにおけるヨーロッパと東アジアの存在価値 | セーサー・デ・プラード・イェペス | (68) |
宗教国家アメリカの欧州観 | 波津 博明 | (74) |
コメントに対する講演者の回答 | (81) | |
パネル・ディスカッション | (87) | |
所長あとがき | ||
シンポジウムを省みて | ヴルピッタ・ロマノ | (113) |
第21巻
論文 | ||
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「ドイツ」概念のヨーロッパ的変容:「ヨーロッパ人」の参政権問題との関連から | 植村 和秀 | (1) |
日中米<三角関係>の歴史政治学的考察(1) | 溝部 英章 | (19) |
日米知協定の見直し交渉過程覚書:公務外犯罪における米兵容疑者の身柄引き渡しを巡って | 岩本 誠吾 | (43) |
ライシテは破綻したのか? | 中谷 真憲 | (57) |
韓国の反米主義の起源と決定要因に関する考察 | 朴 勝俊 | (71) |
ドーマス・マン『非政治的人間の考察』における東方とアメリカ | 髙山 秀三 | (81) |
全仏教の伝統からみた京都学派:禅の十牛図から京都学派の「場所論」へ | 森 哲郎 | (105) |
翻訳 | ||
カスパール・ルネ・グレゴリィ(エルンスト・ユンガー著) | 川合 全弘 | (123) |
民主的法治国家:矛盾し合う原理のパラドックスな結合? | M.フーブリヒト | (141) |
懸賞論文 | ||
国際貢献と日本の役割 | 佐々木 耕 | (155) |
第20巻
巻頭言 | 須藤 眞志 | (1) |
特別寄稿 | ||
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国際紛争と国連の役割 | 明石 康 | (5) |
論文 | ||
合衆国憲法修正箇条とジムクロウ法 | 吉田 義法 | (27) |
グラスノスチ政策と政治的対立の発現 | 河原地 英武 | (53) |
二つのポーランド:イェドバブネからEUまで | 松川 克彦 | (69) |
国際社会における人権と安全保障 | 田中 義晧 | (77) |
イラク戦争と国際法 | 丸山 珠里 | (85) |
2002年夏にとられた北朝鮮経済の新たな措置 | 後藤 富士男 | (89) |
米国テロ事件以後の世界 | 須藤 眞志 | (97) |
研究ノート | ||
イスラエルにおけるパレスチナ系住民の地位 | 北澤 義之 | (105) |
中国の人権:国権がなお最優先 | 小島 朋之 | (119) |
第19巻(2000)
論文 | ||
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文明論と日本:シュペングラーとトインビー | 間宮 茂樹 | (1) |
平泉澄の不惑について | 植村 和秀 | (50) |
バーサルヴァジュニャによる唯識学派の認識対象非実在論批判 | 山上 證道 | (85) |
京都学派の「歴史哲学」:『世界史の理論』における思索共同 | 森 哲郎 | (162) |
研究ノート | ||
イブン・アージュッルーム(14世紀)の文法書について | 山本 啓二 | (99) |
あとがき | (163) | |
世界問題研究所刊行 紀要および所報 総目録 |
第18巻(1999)
論文 | ||
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無についての一考察:ハイデッガー『形而上とは何か』を中心に | 中山 一萱 | (1) |
The Political Climate, Politics, and Statesmen in Japan | 間宮 茂樹 | (27) |
バーサルヴァジュニャによる仏教唯識学派の多様・不二論批判 | 山上 證道 | (55) |
中国のWTO加盟と外資直接投資 | 八木 三木男 | (66) |
シェリングの『自由論』における「自由」の表現性と「無底」 | 森 哲郎 | (114) |
第17巻(1998:特集号)新世紀への期待と逡巡:アジアの国際的課題
論文 | ||
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国際政治の理論を考える:意志政治論再考 | 間宮 茂樹 | (1) |
文化の未来:われわれは21世紀世代に何が残せるか | 水田 和生 | (50) |
中国のFDI政策 | 八木 三木男 | (86) |
反目と融和:インド亜大陸におけるヒンドゥー教徒イスラーム教の交流 | 山上 證道 | (123) |
東亜に於けるグローバリゼーションとリージョナリゼーション | ロマノ・ヴルピッタ | (146) |
現代世界における『十牛図』の可能性:<アジアの国際的課題>としての「行」の創造的継承 | 森 哲郎 | (220) |
特別号(1998)特定共同研究「世界秩序の転形期における国民国家:比較政治学的考察」
謝辞 | 小平 修 | |
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序論 | ||
比較政治学的考察のための序論 | 小平 修 | (1) |
日本 | ||
国民国家・日本の世紀末危機 | 溝部 英章 | (9) |
日本における国民国家の変容 | アリステア・D・ スウェール |
(37) |
中国 | ||
中華民国期の「国民国家」思想 | 楊天石 | (83) |
中国における諸民族統合の課題:辛亥革命期の論争を中心に | 江田 憲治 | (101) |
インド | ||
インドにおける地域主義:その過去と現在 | 木村 雅昭 | (131) |
国民国家に関する日印学生意識の比較分析 | 小平 修 | (155) |
ロシア | ||
ウクライナと西欧 | オリガ・アレクサンドローヴァ | (189) |
ロシアにおける国家と民族:歴史的、政治文化的考察 | 廣岡 正久 | (215) |
ロシア連邦における諸民族のロシア語化 | 北上 光志 | (241) |
新しいロシアのアイデンティティ | コンスタンチン・サルキソフ | (273) |
ドイツ | ||
ドイツ戦後政治に対する右からの批判:アルミン・モーラーの政治評論 | 川合 全弘 | (303) |
世界秩序の転形期における国民国家:ドイツの場合 | ヘルムート・クヴァーリチュ | (339) |
ヨーロッパのエスノ・ナショナリズム;災厄か統合の必須条件か? | ゲルハルト・ジーモン | (389) |
「ネイション」への問いとその実践的意義:学問、ヴィッセンシャフト、公共性 | 植村 和秀 | (403) |
ゲオルギー・ゲオルギエヴィチ・スヴィリドフ氏の逝去を悼む | 廣岡 正久 | (429) |
執筆者紹介 |
第16巻(1998)
論文 | ||
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古代教会典礼の視点から見た殉教者崇拝 | 佐藤 吉昭 | (1) |
西田哲学における宗教と自己 | 中山 一萱 | (27) |
現代政治家論 | 間宮 茂樹 | (50) |
Nyayabhusanaの研究(13) : 疑い(samsaya)の考察 | 山上 證道 | (123) |
制度派経済学によるラテンアメリカ研究 | 八木 三木男 | (159) |
第15巻(1996)
論文 | ||
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『東アジア経済の奇跡』のア持続可能性 | 八木 三木男 | (1) |
Nyayabhusanaの研究(12):著作の目的・意義をめぐって | 山上 證道 | (27) |
西谷啓治における<宗教と現代世界> | 森 哲郎 | (136) |
研究ノート | ||
文化的パラダイムシフト:グローバルカルチャー:理論のための研究ノート | 水田 和生 | (48) |
第14巻(1994・1995)
論文 | ||
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古代教会殉教研究の方法論的史観をめぐって: Dorothea Wendebourgの古代キリスト教殉教研究の検討 |
佐藤 吉昭 | (1) |
哲学の宗教的自覚について | 中山 一萱 | (35) |
現代日本外交論 | 間宮 茂樹 | (58) |
シェリングの『世代』における世界経験について | 森 哲郎 | (80) |
古代インドの原子論 | 山上 證道 | (111) |
「コー円卓会議・企業行動の指針」にみる“共生”と日本的経営への期待と逡巡 | 堀内 俊洋 | (136) |
第13巻(1993)
論文 | ||
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キプリアヌスにおける聖餐論の展開 古代キリスト教における初期カトリシズムの成立をめぐって(3): 教義史上でのキプリアヌスの聖餐論の果たした意義と役割 |
佐藤 吉昭 | (1) |
2財3要素の生産構造 | 寺町 信雄 | (37) |
変容する日本文化のアイデンティティ: 野球とベースボールの関係からみて その1 |
水田(吉田) 和生 | |
資料紹介 | ||
大正・昭和の「大礼の要旨」 | 所 功 | (122) |
第12巻(1992)
論文 | ||
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安全保障政策——20世紀から21世紀にかけて——“孫子”再読 | 間宮 茂樹 | (1) |
キプリアヌスにおける聖餐論の展開 古代キリスト教における初期カトリシズムの成立をめぐって(2) ——教義史上での書簡63の歴史的背景と思想を中心に—— |
佐藤 吉昭 | (43) |
西田哲学における「宗教」の問題——禅と哲学—— | 森 哲郎 | (92) |
松岡明義稿『禁秘抄講義按』 | 所 功 | (160) |
第11巻(1990-1991)
論文 | ||
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パラダイムシフト | 水田 和生 | (1) |
ヨーロッパの観念の追求(その四) | ロマノ・ヴルピッタ | (26) |
純粋経験の世界 | 森 哲郎 | (189) |
研究ノート | ||
『サントスの御作業』と『ヒイデスの導師』の翻訳原典をめぐって | 佐藤 吉昭 | (54) |
資料 | ||
明治大嘗祭記録(辛未大嘗会雑記) | 所 功 | (260) |
第10巻(1989)
論文 | ||
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変革期の国際政治と日本の安全保障 | 間宮 茂樹 | (1) |
ヨーロッパの理念の追求(その三) | ヴルピッタ・ロマノ | (18) |
積立方式と賦課方式の計算モデル | 寺町 信雄 | (42) |
キプリアヌスにおける聖餐論の展開 ——古代キリスト教における初期カトリシズムの 成立をめぐって(1)—— |
佐藤 吉昭 | (58) |
日本文化:日常生活の構造に関する考察(2) | 水田(吉田)和生 | (86) |
高御座の伝来と絵図 | 所 功 | (384) |
研究ノート | ||
生存曲線についての一考察 | 坂本 吉之 | (327) |
第9巻(1988)
論文 | ||
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人口高齢化における公的年金の世代間所得移転 | 寺町 信雄 | (1) |
政治的現実主義の再構築をめざして ——意志政治論の理論的背景—— |
間宮 茂樹 | (40) |
ヨーロッパの理念の追求(その二) | ヴルピッタ・ロマノ | (72) |
社会理論の諸問題(3) | M. フーブリヒト | (91) |
日本文化:日常生活の構造に関する考察 | 水田(吉田)和生 | (146) |
賀茂百樹講義『登極令大要』の紹介 | 所 功 | (372) |
研究ノート | ||
紀要第8巻「補論」の修正と付加 | 佐藤 吉昭 | (102) |
第8巻(1987)
論文 | ||
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所得分配政策とマレーシア経済——CGEモデル分析 | 阿部 茂行 | (1) |
権力政治と戦後の米ソ関係 | 間宮 茂樹 | (32) |
女性・男性・子供・家族 ——日本文化の視点から |
水田(吉田)和生 | (52) |
「殉教」日本キリシタンから古代キリスト教へ——(6) 補論 イエズス会・バロック演劇で上演された「日本殉教者劇」 |
佐藤 吉昭 | (84) |
年号の選定方法 | 所 功 | (258) |
研究ノート | ||
湯浅年子博士のこと | 坂本 吉之 | (188) |
第7巻(1986)
論文 | ||
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ヨーロッパはどこへ行く?(2) | 大島 康正 | (1) |
ヨーロッパの理念の追求(その1) | ロマノ・ヴルピッタ | (29) |
青少年の善行と非行 | 水田(吉田)和生 | (47) |
社会理論の諸問題(二) ——社会的正義と手続倫理—— |
マンフレッド・フーブリヒト | (64) |
「殉教」——日本キリシタンから古代キリスト教へ——(5) アンティオキアのイグナティオスの殉教思想(その3) |
佐藤 吉昭 | (79) |
『春玉秘抄』の残巻と逸文 | 所 功 | (158) |
第6巻(1985)
論文 | ||
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社会理論の諸問題(一) | マンフレッド・フーブリヒト | (1) |
意志政治論より見た近代国際政治史(1) | 間宮 茂樹 | (25) |
太平洋時代——「歴史の軸」は動く | 吉田 和生 | (67) |
「殉教」——日本キリシタンから古代キリスト教へ——(4) アンティオキアのイグナティオスの殉教思想(その2) |
佐藤 吉昭 | (100) |
共同研究についての一考察 | 坂本 吉之 | (158) |
『江家次第』の古写本と逸文 | 所 功 | (218) |
研究ノート | ||
ローマで開催された戦間時代のイタリア経済展 | ロマノ・ヴルピッタ | (170) |
第5巻(1984)
論文 | ||
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「殉教」——日本キリシタンから古代キリスト教へ——(3) アンティオキアのイグナティオスの殉教思想(その1) |
佐藤 吉昭 | (1) |
フェーズ展開の歴史的・構造的要因 | 岩田 静治 | (61) |
アメリカ大衆文化の研究 | 吉田 和生 | (118) |
イタリアの政治界の二極制度の崩壊 | ヴルピッタ・ロマノ | (180) |
国際政治思想史と理論について(下) | 間宮 茂樹 | (191) |
ヨーロッパはどこへ行く?(1) | 大島 康正 | (204) |
中原家流年中行事書の成立 | 所 功 | (280) |
第4巻(1983)
論文 | ||
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「殉教」——日本キリシタンから 古代キリスト教へ——(2)再論 |
佐藤 吉昭 | (1) |
組織フェーズ展開の構図 | 岩田 静治 | (62) |
年始の時期と行事・覚書 | 所 功 | (133) |
保田與重郎とミルチャ・エリアーデ ——東西に於ける永遠回帰の神話論—— |
ヴルピッタ・ロマノ | (153) |
文化の理解とその理解度は計られるか | 吉田 和生 | (183) |
国際政治思想史と理論について(上) | 間宮 茂樹 | (211) |
研究ノート | ||
エネルギーとエクセルギー | 坂本 吉之 | (199) |
第3巻(1982)
論文 | ||
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位相転換期にみられる死と再生の現象 | 岩田 静治 | (5) |
「殉教」——日本キリシタンから 古代キリスト教へ——(1) |
佐藤 吉昭 | (59) |
深層文化研究——柿本人麻呂の世界—— | 吉田 和生 | (120) |
日本の繁栄と世界 | ヴルピッタ・ロマノ | (465) |
近代史における戦争形態の歴史的変遷 | 間宮 茂樹 | (494) |
第2巻(1981)
論文 | ||
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三サイクル生成仮説 ——日米産業社会構造の変化と方向性—— |
岩田 静治 | (5) |
西欧キリスト教のラテン的特質 ——日本における神仏習合との比較研究試論—— |
佐藤 吉昭 | (52) |
異文化間コミュニケーション——ことばの壁—— | 吉田 和生 | (126) |
歴史哲学の若干の問題 | 大島 康正 | (187) |
研究ノート | ||
擬声、擬態語の風土 | 坂本 吉之 | (202) |
第1巻(1980)
論文 | ||
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Survival Game——生存のためのゲーム—— | 岩田 静治 | (7) |
西洋文明の危機と日本 | ヴルピッタ・ロマノ | (51) |
日本人の自然意識——東西自然観の比較研究試論—— | 佐藤 吉昭 | (99) |
諸科学の相互批判への試論(Ⅱ) ——大同盟の崩壊と核軍拡競争の勃発—— |
曽我見 郁夫 | (149) |
文学と社会——Incident at Vichyを中心として—— | 辻 久也 | (182) |
新国際秩序・技術開発・人間主義 | 湯川 攝子 | (198) |
太平洋時代への挑戦——「太平洋大学」設立のために—— | 吉田 和生 | (222) |
研究ノート | ||
Caltechでの1年 | 能田 成 | (274) |