京都産業大学キャンパスマガジン サギタリウス 2016 Dec. Vol.74

社会で挑戦する卒業生から、次の挑戦者たちへ。BATON | バトン | in a relay of challenge. 料理家/フードコーディネーター タカコナカムラさん

ナカムラさんの挑戦ヒストリー 

今回の後継者候補 料理サークル「きゃらめるクロワッサン」代表の私も質問しました!

「ホールフード」考案までの経緯を教えてください。「初めてお店を経営する際にコンセプトとして掲げました」

社会人になってから人をキレイにする仕事をしたいと思い、美容業界に進みました。その際に、お店に来店されていた女優やモデルの方々を見て、キレイな人は食にこだわり、内面から美しくなっていることに気付きました。当時の日本では、自然食は療養食というイメージでしたが、お客さんの一人だったアメリカ人モデルの話を聞くと、アメリカでは全く異なる様子。私は本場の自然食を体感したいと考えて渡米し、自然食を扱うレストランを転々としながら料理を学びました。何度も渡米し、日本でも自然食が必ず流行ると確信していた頃、知り合いに誘われて自然食を提供するカフェのプロデュースを担当しました。その後、自然食材を使ったお菓子屋のリニューアルを依頼され、これに挑戦。その結果人気店となり、売り上げが約10倍に伸びました。一年後、このお菓子屋を譲り受け、自分の事業として創業したのが1989年。その際に会社のコンセプトを考えた結果、生まれたのが「ホールフードライフ」という考え方。安全な食材や健康を求めるならば、農業や環境など、食に関わる全てのことをまるごと考えていかなければならない、という想いを表す言葉です。

ナカムラさんが今後挑戦したいことは?「体に優しい食文化の継承に注力し、貢献したいです。」

その後、大学時代の学びを活かして経営していたところ、また別のカフェのプロデュースを担当することに。オープンから3年後にはこのカフェが東京でも有名になりました。その後、カフェで行っていた料理教室事業を譲り受け、2006年に独立。それから各地で料理教室を行い、「ホールフードライフ」を伝えていきました。ここ大田区に自分のスタジオを開設したのは、東日本大震災の直後の2011年4月。震災は環境に対する世間の意識を高め、多くの人が食の安全や環境にも関心を持つきっかけになったと感じています。私自信にも変化があり、これまで以上に多くの方々に「ホールフードライフ」を伝えることで、日本の食文化の継承に貢献したいと考えるようになりました。最近は特に、親になる直前の世代である大学生を中心に食育を行うことで、親から子へ、子から孫へと、体に優しい食文化が伝わることを願っています。

ナカムラさんからバトンタッチ!

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