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- 2014 Jul. Vol.64


本学卒業から30年以上、映画やドラマ製作の現場で「スクリプター」として活躍されている竹内さん。高校時代から映画が好きで、当時一番好きだったイタリア映画を原語で見たいという理由から本学の外国語学部でイタリア語を専攻されたそうです。部活動はもちろん、映画研究部に所属。3分〜60分まで、部の仲間とさまざまなショートムービーを製作されました。「今見ると稚拙な部分が多いですけど、仲間と協力して、イチから全部自分たちで作り上げていくのが楽しかったですね」。映画が好き、という気持ちを本学でさらに育まれた竹内さん。卒業後は、つてを頼って松竹撮影所の前身である松竹京都撮影所で見習いとして働き始めました。一般的に「記録係」として知られるスクリプター。バラバラに撮影したカットをつなぐ際に、役者の目線などがちぐはぐにならないよう、カットの流れを記録する仕事が最も有名です。一見簡単に思われがちですが、実際の仕事はそれだけに留まりません。「作品全体の流れを守るために全体の整合性を取るのが仕事。現場でさまざまな人と関わりながら、調整を繰り返します。仕事はいくらでもありますよ」。監督の助手として、撮影開始前の打ち合わせから、全体の進行管理、撮影中の画面チェック、役者とのすり合わせ、編集作業…と、制作の最初から最後までに携わります。豊富な知識と経験が求められる職業のため、新人時代は戸惑いもあったそうです。「例えば時代劇なら、映像についてはもちろん当時の言葉使いや服装、儀礼などの知識も必要です。最初は知らないことだらけで、誰かに質問される度に、『分かりません』と答えるのが悔しくて、とにかく必死で勉強しました」。"師匠"に仕事を教えてもらいながらも、基本はフリーランス。全てが「自己流」の世界で、竹内さんは貪欲に仕事に打ち込みました。
現場で経験を積み、叩き上げられながら実力をつけていった竹内さんでしたが、周りも経験豊富なプロばかり。自信を持って発言することは難しかったと言います。転機になったのは、今は故人となった大監督・工藤栄一監督の下での「必殺仕事人」の撮影でした。ある撮影の際、監督の隣で撮影現場を見ていた竹内さんは、セットの中に気になる点を発見しました。「映っちゃいけない大道具の部品が、画面に映り込んでいる気がしたんです。当時は手元モニターがありませんでしたから、カメラをのぞかないと分からない。熟練のカメラさんや美術さん相手に滅多なことは聞けないと随分迷いましたが、どうしても気になって、監督に伝えたんです。そうしたら監督はきっぱりと一言、『それを言うのがお前の仕事だろ』って。その言葉で、自分からどんどん発言していけるようになりましたね」。今では、スクリプターの枠にとらわれず、役者ともスタッフとも積極的に自分から関わるのが自身のスタイルと言う竹内さん。1回たりとも同じ撮影がないなかで、「どの現場でも、自分の持っている全ての力を出す」ということをポリシーとして、その作品ごとの「面白さ」を際立たせることを追求しています。その仕事ぶりには役者、スタッフからの信頼も厚く、2009年には俳優の岸谷五朗さんから直接指名され、映画「キラー・ヴァージンロード」の制作に参加。また大人気ドラマ「大奥」での実績が評価され、2007年からの6年間に、舞台版「大奥」の演出補佐も務めるなど、活躍のフィールドを広げられています。「その道のプロを相手に意見するのですから、しっかり理由を言えなければいけない大変さが常にあります。そろそろベテランと呼ばれる頃合いですが、まだまだ勉強することはたくさんあると思います」と竹内さん。この世界を目指す学生へのアドバイスをお聞きすると、何よりも好奇心が大切だと仰います。「歴代の監督を見ていると、80代や90代でも好奇心旺盛な方ばかりですから。学生ならなおのことです。撮影は大変なこともありますが、映画やドラマが好きで、志のある若い人が、もっとこの世界に入ってきてくれたらうれしいですね」と語られました。