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- 2014 Apr. Vol.63


20代〜30代の若者を中心に大人気のファッションブランド「アーバンリサーチ」。その創業者である竹村さんは、現在につながる心構えを学生時代の空手道部での練習で発見したといいます。「練習が本当に辛かったのですが、ある時、何故辛いのかを考えました。すると、練習量よりもむしろ”誰かにやらされている“のが辛いのだと気づいたのです。受け身でいると、この先何があるのか分からず、知らない内に自分の力をセーブしてしまう。それが辛い。自分から考えて動けば、楽しい。それからは、空手でも何でも、まず自分の頭で考えて動く、ということを信条としてきました」。そして竹村さんは卒業後に起業することを決意。商社勤務とご親戚が運営するジーンズショップでの下積みを経て、25歳で自身のジーンズショップを開業しました。ファッションの分野を選んだのは、オシャレが好きだったこととコネクションがあったこと、そして新規参入でも生き残るチャンスが大きい分野だと考えたことが決め手だったそうです。創業当時の1970年代は、アメリカから入ってきたばかりのジーンズが世間で大人気。竹村さんの努力も実り、約20年で店舗数を15店舗ほどまで拡大することに成功しました。しかし、竹村さんはその頃、新業態への転換を決めました。「当初ジーンズと言えば、専門店でしか扱っていない特別な服でした。ですが、次第に色んな店で取り扱われるようになり、その内スーパーでも手に入るようになった。ジーンズは一般的なウエアになったと、感じたのです」。創業時から、”長く続く企業にすること“を目標としていた竹村さんは、時代の中で生き残るために、常に新しいものを取り入れ変化し続けることが必要であるという信念に従い、新業態の模索を始めました。とはいえ、最初からアイデアがあったわけではなく、まず「どんな人に来てもらいたいか?」ということから新業態を考え始めたのです。
「オシャレな人が来る店にしたい」という思いから、「オシャレな人」とは、当時の憧れの的であった「ショップ店員」であると想定して構想を膨らませていきました。そして市場のリサーチや国内外のさまざまな「オシャレ」を追求し、大阪のアメリカ村に「アーバンリサーチ」1号店を開店。周囲には、「業態を変える必要なんてないのでは」という声もあったそうですが、竹村さんに迷いはありませんでした。「セレクトショップ」という業態自体が日本に浸透していなかった当時、国内外のハイセンスなアイテムを取り揃えた「アーバンリサーチ」は、そのスタイルの新しさから瞬く間に人気店へ成長。東京や京都、名古屋など日本各地への出店はもちろん、「KBF」など自社ブランドの多様化や、自社でのものづくり、物流、WEBショップ運営と、さまざまな新しいことに挑戦しています。アウトソーシングの前に、まず自社の社員で考え挑戦することでノウハウを蓄え、未来への力を養っているそうです。さらに近年では、飲食やバーバーなど、「服」に留まらないライフスタイルの提案を行っています。「現代では、業界や国の境目がどんどんなくなっていますよね。もはや地球という大きな地域に、”ライフスタイル産業“という業態があるような状態だと私自身は考えるのですが、その中で世界で勝ち残った力のある企業とどう渡り合うか。常にアイデアが求められる難しい時代ですね。それでも自分の考えが形になり、そして成功した時というのは、たまらなく楽しいんです」。社長として、3年先、5年先を見据えながら、常に「チャンスの芽」を探しているという竹村さん。そのモチベーションの素とは?「会社を大きくするためでなく、自分の人生を作るため、でしょうか。最後の最後に、あぁ、良い人生だったと言えるように、今を楽しんでいるんです」。学生世代の起業にも、チャンスやヒントは周りにいくらでもあると仰います。「最初から世界一を目指すのではなく、軽い気持ちで始めてもいいと思います。そして、精神的にタフになってほしいですね。しんどい時は、寝ればいいんです。一晩で状況は変わるし、時代も変わるもの。自分がチャンスと感じた時に、すぐさま動く勇気を大切にしてください」。