入賞

「鴻池新田-Ipswich」

経営学部 1年次生 中田 美麗

審査員講評

 タイトルを見て一瞬「何の話なのか」ととまどったが、読み進むうちにオーストラリアに留学している弟と大阪にいる筆者をはじめその家族との話なのだとわかり、このタイトルをつけた筆者の意図がよく理解できた。地震がもたらした家族結びつきの重要さについての改めての認識、そして心配の逆転、会話を通して語られるその内容は、説得的である。会話が中心であることも影響しているのであろうが、全体としてテンポのある文章で読みやすいことが評価出来る。また、「普段あたりまえのように」していることや感じていることの意味を問いかけてくる、その意味で好感の持てるエッセイである。

作品内容

「鴻池新田-Ipswich」中田 美麗

 ようやく何種類かに絞れたところで急に気分が悪くなってきた。
 頭がグルグル回っている。そう、長時間参考書を選んでたくさん文字を見過ぎてめまいを起こしたのかと思った。その日、私は梅田にある日本一大きな書店の‘MARUZEN&ジュンク堂書店‘の七階にいた。私には高校二年生の弟がいるのだが、一年間留学のためオーストラリアへ行っていて、帰国後すぐに受験があるということで母に英語と国語の参考書を見て来て欲しいと頼まれたのであった。

 「この参考書は見やすいが、内容が薄いな。」「これはわかりやすく、問題も付いているけど文字が小さくて細々している、Z会の参考書か、それとも河合塾の参考書が有名かな」「自分が使っていた旺文社のスクランブル総整理の参考書がいいかな。あ、でも、それやったら自分のをあげたらいいかな」など、優柔不断な私は山のようにある参考書選びに奮闘していたのである。

 しかし、次の瞬間、体が揺れているのをしっかりと感じた。幸い書店へのダメージはほぼゼロで、店内も混乱する事無く、エレベーターの使用中止のアナウンスが流れたくらいであった。その時は、「地震か、少し揺れたな」くらいにしか思わなかった。まさか同じ時間に、東日本で何千何万という人々が大災害に巻き込まれ、苦しんでいるなど思いもしなかった。

 何とか英語の参考書は桐原書店のForestに決め、国語は次回に、と書店を後にした私は幼少期から続けている空手の稽古に行くため、一旦家に帰ろうと京橋の駅のホームで電車を待っていた。すると、父から着信。普段、何気無いことでもすぐに電話をかけてきて話をする父のことだから今度は何かな、と電話に出た瞬間、

「日本が大変なことになってるんや!今どこにおるんや!」
「え、どういうこと?今、京橋で電車待ってるけど」
「えらい地震が来て、東北とか津波にのまれて、もう町とかもめちゃくちゃやねん」
「えーっ。そんなに大変なことになってるん!」
「そうや。お父さんも車のカーナビのテレビでニュース見てビックリしてるんや。映画みたいや。ホンマにえらいことやで。じゃあ、気を付けて帰りや」
「そうなんや…。わかった、お父さんも気を付けて帰りや。じゃあね」

 それから家に帰ると母はまだ仕事から帰っておらず、私はテレビをつけ、地震速報を見ていた。父の言っていたように、大きな津波がどんどん押し寄せてくる様子が何度も流れていた。同じ日本で起こっている事のように感じられなかった。しばらくすると、母が帰ってきた。地震について仕事場で少し聞いていただけの母は、テレビで実際の映像を見てショックを受けているようだった。テレビの画面の行方不明者・死者の数字がどんどん増えていく。五百から千、あっと言う間に千から二千。それは、とどまることを知らないようだった。

 それから父も帰宅し夕飯を食べていると、家の電話が鳴った。今からご飯なのに!と電話に出ると、それはオーストラリア・Ipswichにホームステイしている弟からの国際電話だった。何でも現地のニュースで日本の大地震について津波はもちろん原発問題についても大きく報じられていたようだ。さらに弟の話によると、ニュースでは‘東北’ではなく‘日本’が大変だ、と報じられていたため、私たち家族を大変心配したらしい。心配そうな弟の様子を見たホストファミリーが
「You're very worried about the family. We’re worried about them too. You should Call.」
と電話をするように勧めてくれたらしい。国際電話はとても通話料がかかるため、Skypeを使って折り返し弟へ連絡した。
「もしもし、電話ありがとうね」
「何か、こっち(オーストラリア)のニュースで観たけど地震大丈夫なん?」
「こっちは大丈夫。鴻池もそんなに揺れへんかったから、家も何ともなってないし。でも、震源地の東北は大惨事やで」
「そうなん、大変やな。でも、みんなが無事でホンマ良かったわ。」
「ありがとう。でも、もし大阪でおきてたらって考えたら怖くてたまらんよな。」
「うん。俺がおらん時にそんな事になるん絶対いややわ。」
「それは、そうやね…。まあ、賢祥はオーストラリアで勉強がんばるんよ。」
「頑張る頑張る。わかってるよー」
「口だけじゃアカンよー」
「わかってます」br> 「えー。じゃあ、またね」
「あいよー」

 Skypeを終了した後、母が
 「考えてみればそうやなー。今まで、むこうで賢祥が事故とかに遭わへんかの心配ばっかりしてたけど、賢祥がオーストラリアに行ってる間にこっちで今回みたいな地震とかが起きて何かあったりしたら、賢だけ助かって、あの子が帰ってきても一人になるんよね」と言った。父、母、私と弟みんなで話し、そしてこの母の言葉で、改めて私は今回の地震に恐怖を感じた。地震が起きて東北が大変だ、絶望的だ、と思ってはいたものの、まだどこか違う所で起きた現実味のないものの様に感じていたのも事実であった。

 とても仲が良いと思う家族。大好きな家族。今一緒にいて、笑うことが出来る家族。そんな大切でかけがえのない存在を、どれだけの人が無くしたのだろう。どれだけの人たちが離れ離れになり、どれだけの人がお互いの安否を心配し合い、そして最悪の結果に直面し、どれだけの涙を流したのだろう。そして私は怖くなったのだ。

 普段当たり前のように朝起き、母がいて父がいて弟がいる。「おはよう」から始まり、父や母に反抗し、時にはケンカもする。母が作る美味しいご飯を食べる。ソファで犬と一緒に座って映画を観たり、その日学校や仕事場であった出来事を話し合う。みんなで笑い、温かいお風呂に入り、「おやすみ」で一日が終わる。そして、当たり前のように明日、次の日がやってくるのだ。

 しかし今回の地震はそんな当たり前の日々を跡形もなく壊し、たくさんの人たちの大切で、かけがえのないモノたちを一瞬で奪っていったのだ。

 学校や家、お金や車、色々なものが壊れた。しかし、それらは作り直したり、やり直すことが出来るかもしれない。が、人の命はそうではない。一度亡くなってしまうと、もう二度と話すことも、ケンカも、笑いあう事も出来ない。やり直す事が出来ないのだ。私は未曾有の大災害を目の当たりにして、改めて毎日を無事過ごせていることを考えさせられた。

 半年と少しが経った今、被災地では新しいスタートをきられている方々がたくさんいる。その事もあってか、被災直後の頃と比べれば、世間の地震への恐怖や関心が薄れてきているかもしれない。しかし、今もまだ様々な困難が被災地には残っている。また、地震だけでなく、日本という島国に自然災害がいつ、どのようなかたちで襲ってくるかわからない。そんな中で私たちは、今一度、当たり前に過ごしている日々を見つめ直し、自分が出来ることを考え、思い改めてみるべきではないか。

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